本日のりゅうPON、
先週に引き続き描かせていただきました。
今回は阿麻和利。
阿麻和利が按司になるまでの、
生まれてからカナー時代をメインに描いてみました。
イメージは人生ゲームです(笑)
カナー時代はくせっ毛ポニテの設定
…というのは以前も描いた通り。
ラフでは百十踏揚がいましたが、
掲載版では護佐丸とトレードになりました
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ところで本文では護佐丸の中城移動を命じたのは
尚泰久というようになってますが、
(毛氏先祖由来伝とかでは確かにそう書かれてます)
うーん、命じたのは尚泰久以前の王だと思ふ。
尚泰久が王になってから護佐丸・阿麻和利の乱までは5年しかなくて、
その間に護佐丸に命じて増築して移動…とはなかなか厳しい。
(全焼した首里城の再建築や冊封も同時にしてるだろうしね)
護佐丸の中城入りは1440年ごろと言われてて
(これは考古的になのかな?座喜味18年、中城18年)
護佐丸が王の命令だとしたら尚泰久以前、
尚巴志王の命というのもギリあり得ると思う。
尚巴志1439没なんで、その直前に命令してたとして。
どの王の命令かはさておき、
伝えの通り護佐丸の中城入りが阿麻和利を制するためだとすると
1440年頃、既に阿麻和利が王府を脅かすほどの勢力を持っていて
例の「乱」まで18年ほど緊張状態が続いていたということになります。
その間に、短命でころころ変わる王に
志魯・布里の乱に首里城炎上。
阿麻和利が天下を狙ってたら
その混乱情勢の中で攻めるのがいいはずなのだが…。
そんでもって阿麻和利、なかなかの歳です。
*護佐丸の中城入り1440年頃 記述*
参/「中城城跡パンフレット」「琉球王国ぶらぶらぁ散歩」「護佐丸伝」
「新琉球王統史」「三山とグスク」「琉球戦国列伝」他色々