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祝☆肝高の阿麻和利300回公演!

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現代版組踊舞台レビューについて       肝高の阿麻和利    2017年11月26日(日)   きむたかホール       夜公演に行ってきました!
この公演はなんと!   公演300回達成!!  
おめでとうございます!           この間200回公演だった気がするのに、
「早っ!Σ(゚Д゚;)」が、個人的な印象です。
200回公演の時のレビューはこちら)           先日、このパンフレットに載っている
卒業生と現役生の座談会の記事を再読したのですが、
発足当時の無理解や、葛藤、必死さ、
そして阿麻和利をつなげていきたいという
当時のメンバーさんたちの想いに
胸が熱くなりました。
あの時の熱意と努力があったからこそ、
そして先輩たちの想いをしっかりと
つないできたからこそ、の 300回なんだなと、
ひしひしと感じます。   肝高の阿麻和利に関わってきた
すべての人たちに
感謝と敬意を表します。     公演1000回目指して
これからも応援しています!    
↑300回記念しおりいただきました!
裏のメッセージは中1の女サンの子から。
のぼりイラストも使ってもらって嬉しい♪       + + +       さて、阿麻和利は去年度の卒業公演ぶり。 8代目阿麻和利君の公演見るのは
お披露目公演以来の約1年ぶりでした。
かっちんカナーとかでは見てたけれども)     親近感のある庶民派系、
という第一印象だった彼。 去年よりもがっしりと力強くなっている という印象でした。   第一幕では割と元気に豪快に、
第二幕では基本しっとりまろやかに。   二幕のほうが素の彼に近い感じかな。
(先日、直接お話しする機会があったもので) もともとすごい優しい声をしているので
そんな感じがにじみ出ていました。
二幕のエイサー後の百十踏揚との2人のシーンは…
ごめん…ちょっと聞いてて砂吐きそうになったけれども(笑)、
阿麻和利&百十踏揚のラブラブは本望なので、
どうぞこれからも存分にやってください(笑)
(以前、エイサーに阿麻和利だけじゃなく
百十踏揚も加わって…という時があったけど、
これも台詞に頼らないラブラブ表現で好きだったなー)   そしてそんな2人のやり取りのそば(中通路)で
手紙を持ち、たたずむ賢雄な…(笑)    
護佐丸謀反の手紙のシーンは
先代阿麻和利君を彷彿とさせました。   発破をかける賢雄に対して、
「わかっておる!」と一喝し、
その後自分に言い聞かせるように
「わかっておる」をさらに2度繰り返したり、
戦の号令をかける決断をするまでの溜め(間)、
そして絞り出すような「戦だ、戦じたくをせよ」の声。
直前の「ものどもー!」とも調子が違っていて
阿麻和利の苦悩がとても伝わりました。   最期のシーンでは、
死にゆく阿麻和利が屋慶名と
がっつり話しているのが印象的だったな。
台詞までしっかり聞こえるくらいでした。
(あとは頼むぞ的なのと、屋慶名への一喝)  
ところで、
戴冠式のシーンで草冠がなかったのは… なぜなんだろう…(´・ω・`) 気になることがあったので、見たかったのだけど…。        + + +         現百十踏揚も1年ぶり! 声が全体的におしとやかな姫系で好みでした   琉歌のシーンも声が透き通ってて
少しエコー?もかかっててきれいだったな。   最期のシーン、
霊験あらかたでちむわさわさーしている感じは前からあるけど
いてもたってもいられず、阿麻和利に話かけた
と同時に火薬蔵の爆発音っていうのが絶妙でした★    
ところで、百十踏揚が登場するときの肝子の説明、
「(百十踏揚は)聞得大君という、
ノロの最高の位についておりました」
って言う部分は、変更する予定はないのかな…。   聞得大君という名前の役職ができるのは
第二尚氏になってからの尚真代なので
(初代聞得大君は金丸の娘で尚真の妹(姉)の月清)、
別の説明に置き換えられたらなーと思ったりもします。   史実と違うからダメ!っていうわけでなく (肝高の阿麻和利が創作なのは心得ていますし)
物語上、聞得大君っていう専門用語を
どうしても使わないといけないってわけでもないし、
別の表現にしても差支えがないなら、
余計なつまづきを与えないためにも、
そのほうがベターな気もしています。   「神に仕える、ノロの最高の位についておりました」とか
「琉球の祭祀をつかさどる、ノロの最高の位についておりました」  とか…。   うーむ。         + + +       他、役者チーム。 望月按司Sのじいちゃんばあちゃんキャラ好きだ―!
でももうちょっと妃に敬意を表してもいいと思う(笑)
一応、使用人の分際だし…(^_^;)
望月按司の草履が片方取れちゃってからのアドリブ?はよかったなー。
なかったことにするわけではなく、
「おっとっと…」普通に拾ったのも自然だったし
片手に持った草履で屋慶名を叩いたのも
傲慢感&酔っ払い感が出ててサイコーでした。
(そうされたら普通怒り心頭だよな。血管ぴきぴきモノだわ)   奥に行ってもなかなか草履を履かなかったことを考えると
もしかしてアドリブじゃないのかな?どうなんだろ?       今回、役者チームは全体的にちょーっと台詞かぶりが
多かった気がするので、ほどほどに(^_^;) せっかくのセリフが台詞かぶりで
聞こえないのはもったいないなー、と。

(関係ないけど、テレビでもラジオでも
誰かが話してる最中に話をかぶせてくる人、
すごい増えたよね…。アナウンサーとかでも。 自分も気をつけなければ…)       + + +       アンサンブルさん。   今回、ひっさびさに肝高の詩で、
男サンの「笑顔でアイコンタクト」が見れた!
(席の関係だったり、立ち位置が変わってたりで
しばらく見れてなかったのだよ…)   ひゃっほーい!(笑)   やっぱりいいっスな…(←おやじ)       そういえば、浪漫の初めの肝子とか、
阿麻和利の最期の前のハッタラーとか、
階段での演出が控えめになってましたね。 後ろや横からも見やすくなっていいと思うー♪   センターに肝子、それを囲むような浪漫のスタンバイ、
綺麗だったな♪     ちなみに、個人的に肝高の詩の始まりは、
最初から舞台にもっと人数がいてほしい派(^^;) 暗転から、バッと舞台が明るくなってからの
インパクトってかなりあると思うので。 あれ?少ない?って思っちゃいました。 前奏終わってすぐに走ってきて増えはするのですが、ね。 好みの問題かもしれないけど。 MOMOTOとか、その点、すごい密度とインパクトがあった印象☆       + + +       きむたかバンドさん。   客席側のバンドピットから
舞台上の後方に移ってからの
肝高の阿麻和利を見るのは
私はたぶんこれが初めてかも。   そうか、でも、あの音を体感できる機会は
もうなくなってしまったのね…。   幕にさえぎられてしまうぶん、
幕開けの音とかちょっと迫ってくる感じは減った気はするけど、
でもお客さん誰からもバンドさんの顔や活躍が見える、注目できる
ってのはいいですよね♪   数ある現代版組踊シリーズの中でも
バンドも歌も子どもたちでやっているのは
そう多くないので(阿麻和利と那覇だけなような)、 どんどん注目されてほしいです!
(リニューアルCDもそろそろお待ち申しております☆)    最後の幕が下りる時に
皆で手を振ってたのがかわいかったです♪       + + +       さて、次の肝高の阿麻和利は
卒業公演!(2/24、2/25)   場所は響ホール!   最終公演争奪戦
12/16(土)9:00のゴングです! (電話のみ、あまわり浪漫の会)   参戦される方は心してかかるべし!!!
必要なのは、 運と、狂気です。
(私は去年は心折れた(笑))       138

解明!?大北墓の右三つ巴の謎

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久々に家紋ネタを書くことにします。

琉球で家紋と言えば、
尚王家の家紋「左三つ巴」
(俗に、左御紋(ひじゃいぐむん))

 

現代版組踊でも首里を現す文様としてお馴染みですね。

 

三つ巴には、

  

 

があり、

それぞれしっぽの流れる向きで
左か右かが判断できます。

詳しくは過去記事→ 

 

さて、その三つ巴について、

私がずーーーーーっと気になっていたことが
ついに解明しました!!(たぶん)

 

 

問題の現場こちら。

今帰仁村運天港のすぐ近くになる
「大北墓(うふにしばか)」

第二尚家の一族であり、
代々今帰仁看守を務めた
向家の墓として知られています。

 

その墓前には立派な石碑があります。

 

 

碑文には尚真様第三之御子云々と書かれています。

詳しくは過去記事→ 

 

で、この石碑の上に三つ巴が彫られているのですが…

 

 

なんと、これが

左三つ巴ではなく
右三つ巴なのです!!!

 

 

え!?なぜ!!???

 

尚家は左三つ巴だけど
派生した向家は右三つ巴なのか?

 

という疑問に関しては…

 

一応、右三つ巴、ありました。
参/「沖縄家紋集」(那覇出版社)

 


向家も圧倒的に左三つ巴が多いではあるけど、
右三つ巴も全くないというわけでもない。

 

では、
大北墓の今帰仁看守、
今帰仁王子朝典を祖とする
向氏具志川御殿(具志川家)の家紋が
右三つ巴なのかと調べてみると…

 

「丸に左三つ巴」なのです。

 

 

右じゃない!!

 

やっぱりこれは石工さんの間違い!?

でも王族の墓でこんな間違いってアリ!?

 

と、

依然として腑に落ちない部分がありました。

(石碑は大正期に改築されてるらしいですが、
それでも元のものと同じように作るはずだし
元のものを無視して間違えたとしたらそれこそアリエナイ)

 

 

月日が流れ、ある日の事。

 

別件で沖縄大百科事典で調べ物をしていると…

ふと目に留まった「巴紋」の項目に
こうありました。

 

 

【巴紋】

尚王家の家紋。
俗に〈左御紋〉と称されているが、
玉陵上面の瓦当に記された巴紋を見ると
三つ巴の左巻きと右巻きが
ほぼ半々になっている。

それは王家の紋は
左右どちらでもよい
ことを示すものと思われる。

 

 

……え、マジで!?

 

い、いや、個人的には
瓦の巴紋と家紋としての巴紋が
果たして一緒とみなしていいのか
という疑問はもっているのですが(→

でも、左右の差別化・固定化したのは
近世後半になってからで
それ以前の時代の巴紋は
左右の向きなど気にしていなかった
というのはいかにもウチナーンチュっぽくて
確かにあり得そう…!

 

 

同じく沖縄大百科事典の
【家紋・紋章】の項目を見てみると

 


起源は尚家など一部の名門を除けば
諸行事などが定着する
尚穆末年から尚灝初年(18世紀末から19世紀初頭)
にかけてのことだろうと言われる。

1762年の「大島筆記」には
家紋が一般的でなかったこと、
道具紋であったことが記されている。


 

大北墓の建造はいつだっけ…!?

……1761年!!

琉球で家紋が意識され始める前だ…!!

 

 

な、なるほど…そういう事か。

 

琉球で家紋文化が広まっていくことで
細かいところまで差別化・固定化が
必要となってくるのは当然ですね。

その時に「王家の三つ巴」が「左オンリー」と
強く意識していったというのは確かに想像がつきます。

向きを意識した「左御紋」という俗称が
いつの文献から使われているのかを調べてみたら
また見えてくるのがあるかもしれないけど。
さすがにそこまではワタシでは調べつくせないので
(でも「球陽(1745)」では巴紋という言い方止まりっぽい?)

 

 

ということで
私なりの結論(有力仮説)。

 

大北墓の右三つ巴は、
間違いというわけではなく、
その当時、
左右の区別は特に意識してなかったから

 

としたいと思います。

 

18世紀前期までの史料で
右三つ巴のものがもっとあれば
確信持てるんだけどねー。

 

 

 

*オマケ*

 

四つ巴なんてのもある。

琉球/沖縄、一問一答 【第104問】

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【第104問】

 

沖縄独特な形をした、
携帯用の泡盛容器を
何という?



 

(答えは下)

 

 

 

琉球/沖縄、一問一答シリーズについて

 

 

 

 

■ ■ ■ ■


 

 

 

【答え】

 

抱瓶(だちびん)

紐を通して
斜めだけにします。

本体の凹んだ部分が
腰骨に来るように調整します。


今でもよくお店などでも見かけはしますが、
用途はほぼ、置き物・飾り物ですね。

 

本土の沖縄料理居酒屋とかでは
演出の一環として
これで出したりしてたりするのかな?

琉球/沖縄、一問一答 【第105問】

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【第105問】

 

中国から芋(甘藷)を輸入した人物は?



 

(答えは下)

 

 

 

琉球/沖縄、一問一答シリーズについて

 

 

 

 

■ ■ ■ ■


 

 

 

【答え】

 

野国総官(のぐに そうかん)

 

野国は名字ではなく出身村名、
総官は名前ではなく役職名。

案外ミステリーなお方。

なお、甘藷栽培を産業として広めたのは
儀間真常です。

 

過去記事→ 


ガサシワカチャラ那覇公演’17

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月光の按司 ガサシワカチャラ

2017年12月10日(日)

タイムスホール

 

風邪気味でぎりぎりまで迷いましたが、
熱はなかったので思い切って観に行きました!

ガサシワカチャラ那覇公演!

9月に久米島で2回目みて、
今回は3回目。

観劇からだいぶ間が空いてしまいましたが
メモを頼りに思い出して書いてみようと思います。

 

 

+ + +

 

 

まず、前回の公演レビューで書いていた
最初の登場人物の紹介シーン、
分かりやすくなってた!

紹介される人ごとに
登場していき、
中央にあつまる、
という風に。

最後に出てくる主人公のワカチャラは
紹介者の「母」の後ろにぴったりついて、
兄たちとはとは差別化。

グッ!(`・ω・´)b☆

 

 

キンマモンが登場するシーン、
バックライトでの逆光が神々しくて
かっこよかったな。

むしろその逆光のまま、
キンマモン顔をはっきり見せない演出でも
いいと思いました。

そのほうが威厳もあって神秘的な気がします。

バックライトという設備が許されるのであれば、
ですけどね。

 

 

前回、がっつりお父ちゃん(=伊敷索按司)にヤラレタわたし。

その印象が強かったから、
お父ちゃん贔屓、
というのもあるかもしれませんが、
父子のシーンはもっと伸ばしてもいいなぁ。

お父ちゃんが本音を語るのが
割とすぐな印象なので
(初めてワカチャラを攻めたその時に、な印象)
何回かの戦を重ねた末に…
という感じがもっとしっかり出せたらいいな。

 

そしたらその後の母子のシーンでの
ワカチャラの独白、
何故父や兄者たちに憎まれるのか、
という苦悩や
でもやっと父の本心を知ることができた、
っていうセリフの重みが出てくる、はず。

 

 

前回レビューで
お父ちゃんが本心を隠して

"わしや兄たちを差し置いて
久米島の平和を乱そうとしている"

と、わざと憎まれるような物言いをしたところに
お父ちゃんの全てがある!

と書きましたが、

 

…あれ、

 

それ、
ワカチャラよりも先に
堂之比屋に言ってるわ。

 

うーむ。

 

ワカチャラだけにそれを言うなら
そのセリフの重みもありますが
そうでないとすると…

…でも、かといって
堂之比屋に正直に首里からのお達しだ
と言うのも妙だし…

ちょっと考えちゃいますね。

 

(そもそも私が深読みしすぎなのか)

 

 

さて、その堂之比屋。

ワカチャラの理解者として登場する彼。

お父ちゃんがワカチャラ討伐を決めた時、
何故ワカチャラを攻めるのかと
伊敷索按司に問い詰め
上のように返され、袖にされるのですが…

その時の彼(の演技)には
動揺というよりは怒り
を感じました。


なので
その後の堂之比屋について考えてみると面白い。

堂之比屋の「寝返り」は、
果たして
伊敷索按司への恨みか
ワカチャラの仇か
久米島を想ってのことか
それとも首里へのおもねりか
私利私欲か……

 

首里が堂之比屋に近づいた時も
彼が何も反応しない所が実にいい。

 

そして、劇の冒頭、
っていうね。

これは一度は劇全体を見ている
リピーターがしか味わえない面白さなのですよ。

むふふ。

堂之比屋のミステリアス具合が
色んな憶測をさせてくれるので
とても面白いです。

個人的には善悪が分かりやすい人物よりも
こういうキャラにとても惹かれます。
(史実の堂之比屋も合わせて考えるとまた面白いのですよ)

 


ワカチャラは相変わらずの美形でした

劇中では15歳の設定なんだね。
(死ぬときはもしかしたら数年たってるかもだけど)


ところで、ワカチャラが死ぬ時のシーン、
尺が短くなっているような気がしたのは私だけ?

……気のせい?

一度見て知ってるからそう感じただけ?
(でも観劇2回の時は感じなかったんだけど)

見てて
「…あれっ?終わり??」
ってちょっと物足りなく感じてしまいました…。

死ぬシーンと言うか、
死ぬまでのシーン。

アンサンブルさんの格好いい演舞がもっと見たいなー。
(現代版組踊では戦いのシーンの集団演舞がどれもこれもかっこよくて好き)

 

 

前回もドキュンときた正妃(ウナジャラ)ちゃんは
今回もサイコーなSっぷりでした(笑)

同じように、託宣の後とかは
長男や次男も
もう少し毒出してもいいかもね(笑)
(正妃ちゃんほどではなくとも)

カーテンコールのあと、
正妃&真牛(母)がペアで退場するところは
前回はそのキャラそのままでしたが、
今回はやさしくてかわいかった。

…ギャップ萌えかっ!!

(前回までのツンデレ退場も捨てがたいですが)

 

+ + +

 

ところで、もしかしたら
今回の公演は高3メンバーの卒業公演でもあったのでしょうか?

こうやってまた世代交代がなされて行くのですね。

メンバーが変わっても、
久米島の子たちが
久米島を誇りに想って作り上げる舞台
であることに変わりはありません。

次にガサシワカチャラを見る時は
いったいどんな人がどんなキャラクターを演じ、
どんな舞台になっているのでしょう。

 

また、この舞台を観る時を楽しみにしています

 

 

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久志の観音堂と金武大川

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あけましておめでとうございます

 

かなりまばらな更新になってしまっている
このブログですが(汗)
ネタがないわけでも
熱が冷めているわけでもありません

去年まるまる一年かけて取り組んできた大仕事が
年末にようやく片付いたので
今年はまた更新ペースを戻したいな…
と思っています。

マイペースではありますが
今年もワタシなりに
"琉球の歴史文化の楽しさ"を
発信していけたらと思っていますので
どうぞよろしくお願いいたします。

 

―和々ー

 

 

+ + +

 

 

さて。

お正月のイベントと言えば、初詣!

沖縄では波上宮や普天間宮などが
大混雑初詣スポットとして有名ですが、

人が少ない隠れスポットを求めて
今回やってきたのはこちら!

 

 

名護市久志(くし)にある

久志の観音堂。

 

これまでも何度か来たことがあるのですが
ブログで紹介するのは初めてですね。

 

 

参道にはライトなども設置されていて、

 

 

お堂にはしめ縄に鏡餅と、

予想外にもお正月仕様になっていました。

 

 

久志の観音堂の歴史は1688年にさかのぼります。

石造の観音像が祀られています。

お堂は復帰直後の1973年に再建された物だそう。

 

 

くわしくは↓をどうぞ(クリックで拡大します)



 

 記念撮影📷パチリ

 

 

+ + +

 

 

久志に向かう道すがら
立ち寄ったのが金武大川。

(金武の観音堂も寄ろうと思ったけど
参拝者の列が道にまであふれていたので断念

こちらは以前に紹介済みです →

 

 

思いがけずこちらもお正月仕様に。

若水、ですね。

 

 

沸騰させれば飲むこともできるみたい。

汲んでいきたかったけど
容れ物がなかったので
手を洗わせてもらいました。

 

 

相変わらずとてもきれいな水です。

金武観音寺と金武宮

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初詣にどうかな?と思いつつも
予想以上に人が多かったので断念した
金武(きん)観音寺。

写真は’14.4に訪れた時のものです。

 

 

金武観音寺は16世紀(古琉球!)に
日秀上人によって創建されたお寺。

現在のお堂は昭和17年に再建されたものですが
なんとあの戦争による破壊・焼失を免れ
現存する戦前の木造建築として
貴重な存在でもあります。

 

 

建築に興味のある人も必見!

では少し建築造形として
観察してみましょう。

 

 

 

華美な装飾などはなく、
木肌そのままの素朴で
落ち着いたたたずまいです。

 

 

さて、こちらは「観音寺」なのですが
実は同じ敷地内に琉球八社の一つでもある
「金武宮」があります。

 

 

敷地には鍾乳洞があり、
地下に降りていく階段が。

(入場制限時間あり)

 

 

湿気があり、すべりやすい急な階段なので
ゆっくり気を付けて降りていくと…

 

 

祠がいくつかありました。
(真っ暗で綺麗に写っていませんが

 

この祠の前に貼られていた解説をみてみると
「金武権現」とあります。

これが金武宮メインの祠ってことでしょうか。

 

 

でも、この祠が金武宮だ!
というよりも、
この鍾乳洞そのものが金武宮
とみなしたほうがいいのかな。

 

洞窟内は他にもいろいろありますが(酒蔵庫とか)
内部の写真はこれだけ。

 

いつかまた訪れたいと思います。

 

 

ところで、

去年の秋ごろ、
金武宮の間違ったご利益(子宝)情報が
拡散して困った状況になっており、
住職がそのようなものはないと呼びかけている
というニュースもありましたね。→ 

子宝に関する縁起・逸話・信仰はない


ということを
ここでも書いておきます。

沖縄の本格和菓子店と、龍樋のしずく

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和菓子が好きです。

和菓子は和菓子でも、
茶道に出てくる、
抹茶と一緒に食べるような、
上生菓子が好きです。

京都の複数のお店で上生菓子作り体験をしたり、
和菓子関係の資料館にも行ったり
和菓子の写真集も何冊も持っていたり、
漫画『あんどーなつ』も愛読書なほど(笑)

上生菓子は造形デザイン、色、名前、
まさに日本の美がギュッと詰まった
一品だと思うのです。

 


京都の和菓子作り体験で作ったもの(4品)


京菓子資料館で食べた寒椿


これは金沢。加賀も和菓子所。

 

そんな心豊かになれる上生菓子が買えるお店が
沖縄にもないものかとずっと探していました。

それらしきものは和洋菓子店や
ショッピングセンターのテナントなどにも
多少あることはあるのですが、
色がくすんでいたり
造形が洗練されていなかったりと、
なまじ目が肥えてしまっているだけに
なかなか「これだ!」と思える
上生菓子を扱うお店には出会えていませんでした。

 

そん中、ひょんなことからネットで
よさげな和菓子のお店を発見!

 

知念製菓 和菓子 四季彩

 

これまで扱っていた琉球菓子に加え、
本土で修行されたご主人が作る上生菓子の数々!

季節に合わせた意匠、
洗練された造形に鮮やかな色!

これぞ求めていたもの!!

どれも心ときめくものばかりで心躍る

 

 

季節の上生菓子はその時々で変わります。

那覇に行く時は必ず寄ろう!

そう思えるお店でした。

 

 

さて、上生菓子とは少し外れますが、
このお店には、こんなお菓子もあります。

 

「龍樋のしずく」

 

龍樋というのは、
首里城瑞泉門のそばにある樋(とい)です。

 

 

ここから出る水は琉球一の名水とされ、
冊封使来流の際には毎日那覇にある宿泊所(天使館)まで
この水が届けられていたといいます。

その龍樋をモチーフにした和菓子。

 

 

さっそく抹茶を点てて。

和菓子の材料などは詳しく言えないのでアレですが(^^;)
周りは砂糖でコーティングされていてパリッと
中はゼリー状で小豆の粒がアクセントになってて
とてもおいしかったです

 

琉球史エッセンスのあるグルメなお店として、
この知念製菓 和菓子 四季彩も
情報に加えておこうと思います☆

 

 

知念製菓 和菓子 四季彩

【石嶺店】
那覇市首里石嶺町2-260-1
098‐884‐3813
8時~19時
日曜定休

【当蔵店】
那覇市首里当蔵1-11-6
098‐886‐8270
8時~19時
日曜定休

https://www.plat-okinawa.jp/shop/shikisai/

 

 

+

 

【毎年恒例の覚書メモ】

●全体
35列×19段(=665)
ペイント A4
1マス 横21×縦15㎝
余白設定 上30 下30  左43 右44㎜

●原画データサイズ 
photoshop
735×285㎜でサイズ調整しておく
モノクロ版は線画をグレーにしておく

●印刷時
画像を上下に分割し分けて印刷
上データサイズ
735×150㎜
35列×10段(=350)

下データサイズ
735×135㎜
35列×9段(=315)

●プリンタ
線図→モノクロ・下書き(早い)モード
カラー→縮小20%

インクは純正で。
エコインクの場合は、
350マスごとにインクチェンジ
(カラー・ブラック共に)

●印刷時間
モノクロ・カラー合わせて約4時間

●その他
給紙は多めにしすぎない。
プリント済みのものが溜まったときに逆流して詰まる恐れあり


モモトの日’18

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今日は1月10日、

110(百十)でモモトの日!

 

…と勝手に任命して
ちょいちょいイラストを描いたり
呟いたりしてきました。

 

今年は過去記事ツイートや
呼びかけくらいしかできないかなー?
と思ってたけど、

以前から描いてみたかった百十踏揚が
簡単にではありますが描けたのでUPします。

 

以前、キラキラ化企画で百十踏揚を描いたときに
どのような百十踏揚像で描くか…
という案のひとつに挙げていたものに

無邪気なお姫様系

がありました。

 

そのイメージのヒントになったのが
画像内にも入れたおもろ。

 

太郎もい は、具志川城主の名前
とくらしや は、誇らしや
ちゃくるわし は、ずっと打ち続けている様子
あす は、遊ぶ

 

このおもろは「具志川市誌(1970年)」によると
二通りの解釈があり、
ひとつは
阿麻和利と一緒に具志川グスクを訪れた百十踏揚が、
阿麻和利のそばから離れて輿に乗り鼓を打って戯れる様子、

もうひとつは
具志川城主が勝連グスクを訪れた時、
百十踏揚が鼓を打ち続けて歓迎している様子、

だそうです。

 


参/「真説 阿麻和利考」(高宮城宏著)

 

 

どちらの解釈だとしても
無邪気でかわいらしい百十踏揚像が浮かびます。

 

そんな百十踏揚を描いてみました☆

神秘的な普天満宮

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沖縄の代表的な初詣スポットのひとつ、
宜野湾市普天間にある、普天満宮(ふてんまぐう)。

琉球八社の一つでもあります。

ちなみに、
よく「ふてんまじんぐう」と
言われたり聞かれたりしていますが
普天満宮が正しいです。

 

 

拝殿。

今は色々とお正月仕様になっていると思いますが。

写真は一昨年の夏に撮ったもの。

 

 

拝殿の奥にある本殿。

 

さて、金武宮もそうでしたが、
琉球の神社には洞窟がついていることが多いです。

もともとこの洞窟が
聖地として存在しており、
15世紀半ばころになって熊野権現を合祀した
…という流れがあるようです。

 

その原点とも言える洞窟は
今でも中に入ることができます。
(※要受付)

 

 

中に入ると、
ぽっかりと広い空間が広がっています。

 

 

浮世離れした非現実的な世界…。

昔の人がここに神秘を感じたのも十分うなずけます。

 

 

鍾乳石の造形がすごい…。

 

 

 

奥宮。

 

 

 

ふう~~。

洞窟から出ると
現世に戻った感を感じます。 

 

 

+ + +

 

 ところで、

 

 

こちらは普天満宮のすぐ隣にある普天満山神宮寺。

よく言われている「ふてんまじんぐう」っていうのは
もしかしたら、この神宮寺も合わせた俗称なのかもしれないですね。

 

琉球八社は、神社とお寺がセットで在ります。


金武宮と金武観音寺(※金武宮は社殿を持たない特異な例)
波上宮と護国寺
末吉宮遍照寺(※遍照寺は現在は移転)


かつて、お寺と神社が二つでひとつだった神仏習合の信仰の形が、
明治期の神仏分離を経た現在でも垣間見れますね。

那覇の琉球古道、長虹提

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ゆいレール美栄橋駅周辺の
長虹提ウォッチをしてきました!

 

長虹提とは、
尚金福王(尚泰久の一代前)の時代、
当時浮島だった那覇をつなぐために作られた
人工の海中道路(堤)。

懐機がその監督にあたったとされています。

時代を経て、那覇周辺は埋め立てられ
今は完全に陸地となって
那覇が島だったなんて微塵も感じられないのですが、
長虹提の形跡は今も一部道として残っています。

 


↑クリックで拡大します

 

長虹提を現在の地図に落とし込んだもの。

画面中央にある
ゆいレール美栄橋駅がポイント。

今までも長虹提歩きはしていたのですが
夜だったりしたこともあって
ちゃんと写真で残して記事にしたことはないので、

今回はジュンク堂周辺の「長虹提なう」をご紹介。
(↓赤が濃い部分)

 

 

まず、美栄橋駅前の、三角形になっている広場を
道向かいから撮ったの図。

(逆光ということもあり写真写りがイマイチでゴメンナサイ(´-ω-`;))

ここには美栄橋周辺の史跡案内や
新修美栄橋碑なども建っています。

 

 

長虹提は、こう。

 

 

なお、ここはブラタモリ(那覇編)でも紹介されていて
不自然な段差にタモリさんが興奮していました(笑)

 

(「step br step」のお店の看板、今は黒地に白文字ですが、この時は黄色だったんですね)


 

当時の再現図を写真に重ねると…

 

 

こう。

 


道を渡って、
ジュンク堂側の歩道から
美栄橋に向かう視点だと、

 

 

こう。

 

(★印がさっきの写真を撮った場所です)

長虹提はまっすぐではなく、
大通りを渡って少しカーブして

 

こう。

 

さらにパノラマで。

 

 

(※パノラマで撮っているのですごく曲がっていますが
本来はここまでのカーブではありません。地図参照)

 

こうやって、道は右へと続いていき、
崇元寺に出ます。

その道は今回は割愛。

 

都会の真ん中の、琉球古道。

当時の姿に想いを馳せ、
歩いてみるのもいいですよ。

阿麻和利=英雄?逆臣?それとも…

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阿麻和利はヒーロー?
それともヴィラン(悪役)?

それとも……

 

ツイッターで周ってきた情報。
(画像クリックで詳細ページにジャンプ)


史劇『護佐丸と阿麻和利』


護佐丸・阿麻和利の乱を題材にした
沖縄芝居(うちなーしばい)ですね。

あらすじを読む限り、
正史通りの(逆臣)阿麻和利のようです。

でも、チラシ写真を見る限り
伝統組踊『二童敵討』の(悪役)阿麻和利よりも
キリっとかっこいい感じなので
もしかしたら単純な悪役描写でもなかったりして???

 

ってゆーか、
逆臣、逆賊、悪人、悪役、
微妙にニュアンス違うと思うから
言葉の選択難しいですね…。
でもまあ、言いたいことは伝わりますよね?(^^;)

 

 

そして、公演日の2月24日・25日は、

奇しくも…

 


(画像クリックで詳細ページにジャンプ)

 

現代版組踊『肝高の阿麻和利』卒業公演!

 

こちらはもう、言わずと知れた
英雄・阿麻和利。

 

逆臣・阿麻和利と、英雄・阿麻和利。


以前、同じような対比で
伝統組踊と現代版組踊での同時公演がありましたが
今回はウチナー芝居と現代版組踊。

さて、
あなたはどちらの阿麻和利がお好み?

 

個人的なオススメは両方観劇!

さあ、どっちを先に見る??(笑)

 

+ + +

 

でも、実は最近の私は
絵にかいたような英雄・阿麻和利でもなく、
絵にかいたような逆臣・阿麻和利でもなく、
これら両方の要素を兼ね備えた阿麻和利像を欲しています。


100%の善人も
100%の悪人も
いないもの。

人はだれしも両方の要素を持っているものだし、
見る(評価する)側によって
英雄像がある反面、そうじゃない面もあるものだから。

 

 

阿麻和利については、

民に称えられた英雄像っていうのも
もちろんあると思うんだけど、
彼は全て首里に嵌められただけの、
悲劇の英雄ってだけなのも…
綺麗すぎてちょっと物足りないと感じる、今の私。
(昔は英雄阿麻和利ひゃっはー!だったのですが)

ちょっと美化というか、
作られすぎた感もなきにしもあらずかな、と。

 

2000年以降、
肝高の阿麻和利をはじめとする
阿麻和利主人公の創作物がたくさんできて、
ものすごく知名度があがって人気になって、
英雄のイメージのほうがメジャーになった故、

ってのもあるかもしれない。

(2000年以前の創作物にも英雄阿麻和利像を描いたものはあるけど
やはり一般への浸透度や知名度はまだまだだったわけで…)

かつては
阿麻和利=逆臣
というイメージが、

今は確実に
阿麻和利=逆臣<英雄
になってってる気がする。
(特に若い世代。むしろ逆臣像を知らなかったりね)

 

でもあまりにも
阿麻和利=英雄一辺倒
な風潮になってくると
ちょっと逆らいたくなるという…

 

…って、アマノジャク?(笑)

 

昔ながらの伝統組踊や
ウチナー芝居では既にそれはあるので
願わくば、
今の劇や小説でそんな阿麻和利が出てこないかなーと。

 

だから、このポスター見た時は
「おッ!
ってなったのよ。
この阿麻和利出陣祭を題材にした映画もできるようで…

 

過去記事で描いた逆臣・阿麻和利イラストのリテイク版。
これ(正史)はこれで、悪役に偏りすぎ(笑)

 

例えば、
坂本龍馬もその絶大な人気ゆえに、
最近はその定着している英雄キャラとは違った
影というか、裏というか、狡猾というか、
そういうこれまでの彼のイメージを覆すような
人物像に焦点をあてたものが増えたりしてますよね。

 

阿麻和利もそんな感じで
(勝連から見たら)民衆の味方で、
英雄でありながらも、
野望(夢ともいう)は持っていたり、
勢力(戦力)増強に努めたり、
場合によっては攻めることも辞さないというような
(首里側から見たら)本当に脅威に思えるような面があって、

ちょっと大胆不敵と言うか、
男気、武将魂、叩き上げてきた主体的な強さというか、
ちょっとピリッ、ヒリっとするような部分を兼ね備えた
人物像が出てきてもいいんじゃないかな?
と思っています。

(それでいて百十踏揚とはラブラブだとしたら…
ほら、考えるから面白くなりそうでしょ?)

 

 

ただ首里に騙されて使われて滅ぼされたってだけじゃ
ちょっと主体性に欠けるというか
優しすぎるというか、
まあ、優等生すぎるもんね…。

 

誤解のないように書くと、
肝高の阿麻和利の阿麻和利をディスってるわけじゃないです。
(ワタシの原点なのですから!)

肝高の阿麻和利の阿麻和利はそれでいいんです。

きっとこれが今の英雄・阿麻和利像のベース
になっていると言っても過言ではないと思うので。

肝高の阿麻和利はこれからも
理想的な英雄・阿麻和利を突っ走ってほしいです。

それがあるからこそ、
また違った阿麻和利像が楽しめるのですから。

 

 

ようは何が言いたいかというと、

しょっちゅう言ってることですが、

 

阿麻和利像は1つじゃない!

色々な阿麻和利像があっていい!

それぞれが考えて、調べて、想像して、
最終的にはあなたなりの阿麻和利像を作ればいい!

 

ですね。

 

だから、


阿麻和利は英雄なの!逆臣像なんて絶対認めない!

とか

阿麻和利は逆臣だ!英雄像はねつ造だ!

ではなく、

どんな人物像もまずは受け止めて、
多面的に捉えて考えてみて、
その上で、自分なりの阿麻和利像を描けばいいと思います。

 

それが歴史を楽しむことだと
私は思うのです☆

RyCom今昔

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↑クリックで拡大

 

沖縄市にあるプラザハウスは
日本で初めてできたショッピングモール。

1954年から続いています。

そのプラザハウスの3階の広場の壁には
当時のこのエリアの写真が貼られています。

 

どこがどこだか分かるかな?

 

 

では、解説写真↓

 


↑クリックで拡大

 

写真右の大きな通りが国道330号線。

南側に向かって見た写真です。

 

私が小さい頃
(ってゆーか、つい最近まで
っていうイメージがあるんだけど、)

今イオンや徳洲会病院があったところは
昔は基地内(ゴルフ場および関連施設)でした。

東(海)側からライカム交差点に出るまでの道も小さくて、
今のイオン前の大きな道路はまだなかったんだよー。

 

とりあえず、
そのゴルフ場エリアが返還されて、
つい最近、2015年に
イオンライカムや徳洲会がオープンして、
このライカムエリアは大きく変わりましたねー。

 

なお、ライカムとは
かつてのこのエリアにあった
琉球米軍司令部 (Ryukyu Command headquarters) の通称で
それがそれがそのまま交差点名となり
今に残っています。

現代版御後絵:尚巴志、改良版

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以前制作して、フリー素材として提供している
現代版御後絵:尚巴志。

今回、改良版として、
方心曲領なしバージョンをUPしました。


方心曲領(ほうしんきょくりょう)とは、
白い首飾りの名称。




尚真など、第二尚氏前半の御後絵でも
この方心曲領が描かれています(→

琉球戦国列伝を描く前、
御後絵などで見てた時は、
最初丸い部分は服の襟で、
下の四角い部分は何か堅い素材(金属とか)の
装飾か何かだと思っていましたが、

 

実は、
布製の首飾りだったんですねー!(意外!)


首の円い部分は天を、
下の四角い部分が地を示しているそうです。

明代には正五品(身分のランク)以下の
官僚の朝服でつけられるようになったのだそう。

琉球国王は正一品なんですが、
ある時期までは身分の高い人(正五品以上)でもつけていたらしく、
おそらく第二尚氏の御後絵はそれを参考に描かれているのではないかと。

それで、
琉球戦国列伝やこれまでの現代版御後絵では
検討した末、方心曲領つきで描いておりました。

 

ただ、
琉球国王が明から方心曲領をもらったという記録はなく、
第二尚氏の御後絵は近世になって描き加えられたものでは?
という見解も。

 

そこで、
今回は「方心曲領はもらってないから無い」
ということを元に、
無しバージョンも作りました。
(一応こちらの方がより忠実、ということになります)

 

だいぶスッキリした印象になりました(笑)

 

方心曲領あり、あし、
お好みや用途に応じてお使いいただけたら幸いです。


なお、今回は背景が透明の
PNG版も提供しております!


現代版御後絵:尚巴志
ダウンロードページはこちらから。

1日前倒しムーチーについて

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明日はムーチー(鬼餅)の日。

先週くらいからはスーパーでは
ムーチー材料コーナーが前面に並び、
今日は「明日はムーチーですね~!」という話題が
ラジオでもテレビでも盛りだくさんです。

ムーチーの由来や
関連史跡は過去に紹介済みなので
今年は違った視点でムーチー記事を
かいてみることにします。

 

ムーチーは旧暦の12月8日、
今年は明日の1月24日がそれにあたります。

 

でもね。

 

沖縄のある地域では、
ムーチーを1日前倒しで、
つまり、今日。
という所もあるようです。

 

そうさせた原因となったのが、
一説によるとこの人!↑

 

御茶当(御茶多理)真五郎!!
イラストは通常(NOTキラキラバージョン、三白眼のガリ)で。

 

私の好きな、あの真五郎です。

 

御茶当真五郎ってネットで検索したら
トップページに出てきたのが
ほぼワタシのブログとツイッターだったので笑った(笑)

これだけネットで真五郎について
アレコレ書(描)いている人はいないだろう!
と自負しております(笑)

 

 

さて、
真五郎と1日前倒しのムーチー、
一体どのような関係が!?

というのは、
御茶多理道に置かれている案内版からどうぞ↓

 

(赤線:和々)

 

食いしん坊真五郎♡

 

真五郎は金丸の部下(密偵)という人物像から入った
私にとっては、このマジムン系真五郎像は
イマイチ突拍子もないというか、
繋がらないような気もしているんですが、
小説『走れ思徳』ではそのあたりうまく処理してて
思わずうなってしまいました(笑)

そんな、『走れ思徳』の読了レビューはまた後程。

 

 

+ + +

 

 

ところで、ムーチー。

 

今では色んな種類のムーチーがありますね。

人気はやっぱり紫の紅芋。

お次は甘さの濃い茶色の黒糖。

黄色はカボチャ?(うっちんのところもあるかな)

ピンクは…単なる色付けだけなのかな?

白の、普通のやつはあまり見なくなった気がするけどどうかな?

 

個人的には餅そのもののというより、
サンニン(月桃)の葉の香りがたまりません♪


ムーチーあるある

『百十踏揚』続編、『走れ思徳』読了

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琉球史題材の小説を読み始めて、
もうすぐ10年になるけど、
マイフェイバリット小説は
相も変わらず、更新されることもなく
『琉球王女 百十踏揚』と『テンペスト』。

 

その『百十踏揚』の続編、
『走れ思徳』が琉球新報で連載スタートし、

50回分を一気読みした後は
やっぱり細切れではなく
本としてまとまった状態で読みたい、
ということで読んでいませんでした。

 

時は流れ、
いつの間にか連載は終了していたらしく、

じゃあ、単行本が出るのを待とうかと
こまめにチェックしていたのですが、

これまたいつの間にやら先月に発行されていたようで、
年が明けて、
発行日より3週間遅れで
本土のフォロワーさんのツイートで知りました(不覚)。

夜でしたが、そっこーで買いに行って、
翌日、祝日だったのをいいことを読書タイム。


約2日で読了しました。

 

読了から2週間以上たってしまいましたが
レビューを書いておこうと思います。
(※ネタバレ注意)

 


前半はこれぞ与並節!という
人物描写や史実の背景描写(史実とフィクションの融合)
が絶妙ですごく面白い。


なるほどそう来るかー!
ってなったり。
これをこう持ってくるかー!
って腑に落とされまくりで悶えました(笑)



帯にも書かれていたので言っちゃいますが、


実は阿麻和利が生きていた!

という部分を新聞の50回一気読みで読んだときは


本当に

ぶはぁっ゛;:゛;`(;゜;ж;゜; )!!

てなりましたもんね。



「百十踏揚」のときよりもワイルドになっててカッコイイ。


また「百十踏揚」では
黒幕一辺倒だった金丸についても
それなりにフォローも入り、
クーデターに関しても「なるほど」と思えるような
単なる悪役ではない金丸像が語られていて良かったです。

 

もちろん百十踏揚や主人公の思徳、
思徳の世話係の田場大親や安慶名、
そしてまさかの
御茶当真五郎再登場!
にはテンションが上がりました


金丸の密使・真五郎と、
御茶多理山の真五郎の墓(それに伴うマジムン的な真五郎)
の伝説のイメージの差異も
まさかそういう感じでつなげるのかと、
読んでて「ぬあーーーっ!?Σ(゚Д゚;)」ってなったし、

尚真の正妃が尚宣威の娘である事の理由とかも唸った。

オギヤカも登場し(セリフもあり)
芥隠とのやりとりでは新たな彼女像が
ちらりと見えたところがすごい良かったです。 


あいかわらずうんちくは多いですが、
想定内でもあるし、
「百十踏揚」を読んだ時よりは私も知識は増えてきているので
それなりに苦になることなく読むことができましたよ(´∀`*)

 


 

ところが。

 

 

主人公たちが琉球を離れ、

物語の舞台がシャム(タイ)に移り、
更にそこで彼らが定住し始めると、
とたんに

読者おいてけぼり状態

に。

 

南蛮の政治情勢や歴史のうんちくがわんさか出てきて、
もちろん物語の背景として
ある程度の説明は必要なのかもしれませんが、
それはもう、うんちくがメインという勢いで、
淡々と、そして延々と、延々と続き、
正直辟易しました。


え、思徳たちは一体どこへ…???


琉球の南蛮貿易についてのアレコレ、
南蛮貿易における琉球人のアレコレについては
実は去年、ある琉球史講座を作るために
少し集中して知識を入れてて
それなりに分かってはいたのですが、
シャムやマラッカ内だけの、
いわば世界史となるとお手上げ状態でして  

それでも、例えば、
新たにシャム人の主要登場人物が出てきて
思徳たちと絡んでなにかしらのドラマが繰り広げられる…
というのなら分かりますが、
というわけでもないので余計についていけない。

南蛮うんちくも、
最初は理解できなくても流し読みはしていたのですが、
正直、最後らへんはもうページごと飛ばしてました


うーーーん、
そんなこともあってシャムでの思徳たちは
出世はするけどなんかあまりにも出来すぎてて
リアリティと魅力に欠ける感じがしました。

晩年に琉球に帰ってきた時は、
お、もしかして…?と少し期待したんですが、
なんとなく消化不良な感じ…。

 

ただ、
御茶当真五郎は
最後の最後までかっこよかった。

個人的には
主人公・思徳よりもキャラも印象も濃く、
魅力的だと思いました。

 



 

というわけで、
私の感想をまとめると、


前半は「百十踏揚」の続編らしいが
後半は別物で、置いてけぼりを喰らう


かなぁ…。

 

やっぱりフェイバリット小説は
『百十踏揚』と『テンペスト』のまま
更新されず、ですね。

 

 

+ + +

 

 

ところで。

百十踏揚の子って実は謎で。

大城賢雄の子孫はいるけど、
それが百十踏揚との子によるものかどうかは
夏氏の家譜が残っていないので
確かはっきりしてなかったんじゃないかな?

伊波普猷の阿麻和利考には
鬼大城と百十踏揚のあいだにできた子の末裔云々…
っていう記述がありはするけど。

戦前まで家譜が残っていて伊波が実際にそれを見ての記述であれば
確かにそうなんだろうけど、
阿麻和利考にそうと書いてあるわけではないので
やっぱり根拠ははっきりとは分からない。

個人的には、
もし百十踏揚に子があったのであれば
(相手が阿麻和利であれ、賢雄であれ)
それは伝承なり言い伝えなり、
何らかの形でもっとたくさん伝わっていると思うんだけど
そういう話は全く聞かないし。

だから賢雄の子孫というのが百十踏揚との子経由なのかは
個人的にはどうなかな?と思ってはいます。

(賢雄は百十踏揚とは別に奥さんや子がいたので、
子孫はその奥さんとの子経由と言う可能性も大いにある)

 

この件に関してはこの記事のコメント欄もどうぞ

 

でも、実は本当に賢雄と百十踏揚には子がいて、
でも、現在はその存在ははっきりとしてなくて。

でも、それは小説『百十踏揚』で描かれているように
百十踏揚が思徳との縁を切ったから、かもしれないし、

小説『走れ思徳』で描かれているように、
思徳が琉球を離れシャムに帰化したから、かもしれない、

と考えると…。

 

そういう「思徳」という存在の謎についても、

『走れ思徳』の世並節で、私はまた一つ、

府に落とされるわけです。

 

 

 

+ + +

 

 

おまけ。

この本の最後に出てくる
シャムの琉球人の像、写真で見たことあります。

これが琉球人???と思えるようなビジュアルで
八の字困った眉毛の表情が漫画みたいで面白いです( ̄m ̄*)

カタカシラでも琉装でもないので
見るだけでは100%琉球人だと分かりません(笑)

尚巴志は実は女だった!とか、

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舞台、小説、漫画、ゲームにアニメ、
日本史を題材にしたこれらがあるように、
琉球史でもこういうエンタメが活性化してくれたらと
ずっと思っています。
(実際増えてきていると思う)

 

エンタメ化上等!

 

私自身、
「肝高の阿麻和利」という舞台(エンタメ)、
「テンペスト」という小説(エンタメ)から
琉球史の世界に入った身ですから、

 

歴史で遊ぶなどケシカラン!
とか
史実と違う!ケシカラン!


という立場では全くありません。

テンペストなんか、
それこそぶっ飛びファンタジーだものね(笑)

 

 

古琉球なら謎が多い分、なおさら、
想像(創造)、妄想をたくましくして
いくらでも面白くアレンジできますよね。

どんなコト、人にも
「100%コレ」というのはないと思うし、
「真実」もひとつとは限らないと思っているので、

極端な話、

「実は尚巴志は女だった!」

とか

「阿麻和利と賢雄はデキていた!」

とか

そういう想像(創造)、アレンジも
歴史エンタメのひとつとして
全然アリなのです。
(それが私の好みに合うかどうかはさておき)

 

それこそが歴史の真実なのだー!これ以外は嘘だー!
っていう類のものはエンタメのつもりで言っているわけじゃないので話は別。

 

私がこだわるのは
このような想像(創造)、アレンジが

 

・物語上、ちゃんと意味や必要性があるか
(そうすることで作品としての魅力が上がるのか)

・物語の中でちゃんとつじつまがあっているか

 

です。

 

まあ、歴史を題材にする以上は
単に突拍子もない設定にすればいいというわけではなく
物語やキャラに説得力を持たせるため、
ベースとなる部分、アレンジ以外の部分(歴史)は
しっかりしていたほうがいいとは思いますけどね。

 

個人的には


なるほど、そういう解釈か!

これをこう持ってきたか!

確かにそれもあり得る!

本当にそうだったのかもしれない!

 

と思わせてくれるような
歴史の謎や諸説にうまく切り込んだ
説得力のあるアレンジが好きです。

だから、
歴史学的な史実も知っていると
比較することで味わえる面白さも二倍、学びも二倍


史実や様々な説も学びつつ、
歴史エンタメはエンタメとして
両方楽しみたいです♪

ミュージカル尚寧王

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ミュージカル尚寧王

2017年1月27日(土)

浦添市てだこホール

 

久しぶりに、
それこそ数年ぶりに浦添の舞台を観に行ってきました。

前回見たのはアオリヤエのほうが主人公で、
しかもオペラだった時
(数回見てますが、最後に見たのは記事にはありません)

同じ尚寧王・アオリヤエ夫婦をテーマにしながらも
今回はミュージカルという別作品として
初めて見させていただきました。

出演者は小学生から一般まで幅広く。
(これは浦添の舞台の特徴(色)の一つかもしれませんね)

 

物語は
尚寧王がイレギュラーで浦添尚家から王となり、
道(安波茶橋)を作り、
民に愛され、
アオリヤエとも仲良くやっている最中、
薩摩侵攻の苦難を受け…
というもの。

ストーリーテーラーは玉城朝薫。
戯曲作りのため浦添を訪れ、
そこである老婆に出会い、
忘れ去られた王、尚寧王について語ってゆく…
という流れでした。

 

ミュージカルなので、
舞台の核はやっぱり音楽!(とワタシは思っている)

曲(音・歌)の雰囲気は
凝ったリズムやメロディーというよりも
オーソドックスな感じ。

そんな曲の雰囲気や、
暴力を見せない舞台演出(薩摩侵攻や謝名処刑シーンとか)、
コミカルなキャラクター設定など、
舞台全体の印象は子供向けのファミリーミュージカル
のような感じだったかな。

尚寧やアオリヤエも表情豊かに元気ハツラツで
歌のお兄さん、お姉さんって雰囲気でした。
舞台化粧も特になく、みんなナチュラルだったし。

 

(そしてやっぱりミュージカルはミュージカルで、
現代版組踊は全然ミュージカルではないと改めて確信しました)



劇中にも出てきた安波茶橋


赤皿ガーのエッセンスもしっかり入ってました☆

 

尚寧は薩摩侵攻の危機に対しても
割とあっけらかんと飄々としてて
「琉球が勝てるわけない」
「負け方を考えるのだ」
っていうスタンスで、
薩摩兵が大通りを行くように誘導したり、
薩摩侵攻後の琉球の在り方について前もって徳川に
自らアプローチする…というのが新鮮でした。

尚寧王が整備した道は薩摩軍の侵入をしやすくしたとも言われていますしね


結局はグスクや村々は焼かれ、
悲惨な結果となり、
尚寧一行は薩摩へと連行されるわけですが、

その本土滞在中に起こる弟・尚宏の病死や、
謝名親方の処刑が描かれたのも
オペラにはなかったので良かったです。

(斬首シーンは…舞台後方でシルエットでもあったし
ちゃんと刀振り下ろしてしてほしかったけど…
ここはファミリーミュージカル的にはNGだったのか…)

 

でも薩摩侵攻に際してもあれだけ飄々としてた尚寧が
琉球を離れたとたん急にシリアスになるもんだから
キャラが変わったみたいでちょっと違和感あったな…。

確かに苦悩をアピールしないといけないところだけど、
度重なる苦労に次第に…って感じが出たら、
もしくは、人前では飄々とふるまってはいたけれど
実は裏では(アオリヤエの前では)悩み苦しんでいて…
とかだったら同一人物としてもっと自然に見れたかも。

 

最後に尚寧が死ぬシーンは1番印象的でした。
民に愛されてたっていうのがすごい伝わった。
そこに悲壮感はなくて、
苦労はしただろうけど最期は幸せだっただろうなと感じました。

病床の尚寧に、
"民の色に染めた"という布を、
アオリヤエが尚寧の膝に掛けて語りかけるんだけど、
その布(民)に覆われたまま尚寧が逝けばもっと良かったな。
(なぜか、尚寧がその布を取ってアオリヤエに返しちゃってたので) 

 

+ + +

 

ところで。
実はこの舞台、冒頭の演出で私すっかり心乱されてしまいまして。

それがずっと引きずった、と言っても過言ではありません。

 

それはオギヤカの陰謀が次々と繰り広げられるシーン。
(物語はオペラの時と同様、オギヤカは絶対悪(^^;))

 

幕開け。

何やら騒がしいBGM。

舞台上に陣羽織の男。

 

おおっ?薩摩侵攻のシーンからスタートか?
と思いきや。

 

陣羽織姿はなぜか金丸。

どこかへ行く金丸。

金丸がいなくなったとたん隣の女を刺す(?殴った?)オギヤカ。

それを見ていた尚宣威が叫ぶ。

「姉上!姉上ー!」

高笑いのオギヤカ。これで金丸様の妻は私よ!

 

 

はい、ここまで読んで、

「えっ!!???」って思った方いませんか!?

「ん?何が?」と思った方もいるかもね。

あなたはどっち?

 

 

はい、私、前者です。

 

 

姉上って何!?

へ?!尚宣威に姉がいた!?

尚宣威の姉が金丸の妻、
ってことは尚宣威と金丸は兄弟じゃなかったとか!?

え!?どーゆーこと?!

どーゆー設定!?!??

 

 

まさかのトンデモ爆弾!?と大混乱。

 

物語上のフィクション設定!?と思いきや
それについては一切回収されず、
舞台が終わっても「???」は増すばかり…。

 

はい。

 

ここまで読んで、
気づいた方いますか?

 

 

わたし、一晩たって、
翌朝、やっと気づきましたよ。

 

 

 

姉上って…

 

 

 あ  ね  うえ
義姉上か!!

 

そ…そりゃあ、金丸(兄)の妻がオギヤカにやられた時に
尚宣威に何か叫ばせるとしたら「義姉上」以外ないわな。

でも舞台上の音声では単なる「あねうえ」なわけで…。

 

全然思い至らなかった…

 

はい。
トンデモ爆弾でも何でもなかったですね。

 

ちなみにオギヤカが金丸の元妻を抹消した
ということに関してはあり得ると思ってるので
そこは特に、はい。

それよりも陣羽織姿の金丸と
あれがどういうシチュエーションで
彼がどこに行ったのかが気になりました。
(聞き逃しただけかもしれないけど…)

「姉上」に全部意識持っていかれけどね…。

 

姉上爆弾で混乱したまま、
冒頭のオギヤカの陰謀は息つく間もなく
尚円の即位、
尚宣威の追放、
尚真の即位、
華后との結託、
尚維衡の追放と
(玉陵の碑文もだったかな)
一気に繰り広げられたので…

歴史を知ってる私にとっても
ついていくので必死でした…

これ、一般の人はついていけたんだろうか…。

それともとりあえずオギヤカ悪が印象付けられれば
いいということなのかな…。

 

うーん、
とりあえず、パンフレットの相関図を
もっと丁寧に作ってもらえたらなと思いました。

人名にはちゃんとルビもいれて。

勘なる王の家系図だけじゃなくて。
舞台の登場人物と関係性を示した相関図もあると分かりやすい。
朝明(尚宣威の子孫…でよかったかな?)とか
老婆とかもちゃんと相関図に入れて。
顔写真やイラストがあるとなおよし。

歴史劇って名前は難しいし似てるの多いし
関係性は複雑だし、
分かりやすく理解してもらうための
こういうパンフレットの役割って大きいと思います。

だから、
トピック(章)ごとにあらすじ紹介があったり、
できればメインの唄の歌詞があったりすると
もっとよかったです。

琉球/沖縄、一問一答 【第106問】

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【第106問】

 

沖縄県の人口は?



 

(答えは下)

 

 

 

琉球/沖縄、一問一答シリーズについて

 

 

 

 

■ ■ ■ ■


 

 

 

【答え】

 

約145万人
(2018年1月1日現在)

参考サイト
http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/estimates/estimates_suikei.html


この一問一答の単語帳を作っていたときは
確か130万人くらいだった気がするけど、
いつの間にこんなに増えていたんだろう…。

沖縄の人口増加率は
全国でもトップクラスだそう。

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