前記事のつづき。
戦前、首里城にあった沖縄神社。
ご存知のように、
首里城は沖縄戦で壊滅し、
沖縄神社も消滅しました。
…が、
実は、
沖縄神社そのものは
今も続いているのです…!
もちろん、今の首里城の裏には
何もありません。
今は、こちらに移動・再建されています。
しゅーりーの東ーのー
べんーがだけ~
(※母校の校歌)
の、弁ヶ岳(弁ヶ嶽)!
この↑拝所の道向かい。
この階段を上がっていきます。
(なんか、光が神々しく写ってる…!)
手前にあるのは、
鳥居の脚の名残です。
階段を登ったところにあるのが
この祠。
訪れたのがちょうど1年前だったので、
お正月仕様になっております。
手前の、赤い柵のあるほうには
イビ石が。
(その手前には鏡餅)
イビ石の上の表示を見ると、
左から
尚圓(円)王
察度王
舜天王
英祖王
尚思紹王
とあります。
…戦前の沖縄神社5神と違う…!!
舜天以降の各王統の祖ですね。
前回、
第一尚氏からは祭神いないんかーーーい!
ってツッコんだみなさま
お待たせしました。
こちらにはいらっしゃいましたよ。
奥のもう一つの祠。
扉ではなく網で閉じられてて
赤い柵の手前の祠よりも
ちょっと厳重な感じ…?
こちらのにも
ごろっとした大小の石が5つ置かれていました。
(トリミング&色調補正で)
さっきのイビ石みたいに
平たくて地面に立ってるという感じではなく
色も形も様々で。
ここは石が置かれているだけで
名前や名称なども何もありませんでした。
ただし、
『沖縄の神社』(加治順人著)によると
祭神は戦前からの5神のみが記されており、
祭神が変わったとか追加されたという情報はありません。
また、
波上宮のサイト内にある
沖縄県神社庁・沖縄神社の項でも
同じです。
(波上宮の宮司が沖縄神社の宮司を兼務しているそう)
しかし、
そこに掲載されている写真は
各王統の祖の名前があった
赤い柵の手前の祠であり、
奥の祠は載せてはいません。
………うーむ、いまいち謎…。
(まさかユタが絡んでたりするのか…?)