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女首長も、キラキラ化

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琉球史人物のキラキラ化シリーズ
今回は女子です!

(【描いてみた】【キラ男子】と分けての
キラキラ化シリーズでは
過去には神様聖獣もございます)

与那国島の女首長、サンアイイソバさんです。

実はキャラとしては習作として既に公開済み

このカラーイラストも1年前に描いたものです。

(慣れないアングルで描いたので
なんだかちょっと気に入らなくてひっこめていましたが、
せっかくなので少しトリミングして載せちゃいます)


肝っ玉母さん+女性体育教師なイメージのイソバさんですが
(『琉球戦国列伝』ではそれ)
キラキラ化に伴い、強気な乙女風に。

ハジチと腕輪の模様、青ビーズのピアスと藍色の服、
貝、それからお馬さんに与那国(先島諸島)エッセンスを。

島の女性と言うこともあり
神女モチーフの白いハキマキを。

 

おかっぱ頭なのは、前も書いたけど
新里堅新先生(BY『首里城ものがたり』)のイソバさんのオマージュです。


中城城「再現」計画

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画像↑の新聞記事の見出しを見て、

「えっ!!??!!!Σ

ってなった方、

ご安心ください(笑)、

60年前の話です。

 

 

今日は、復帰前、中城グスク(建物)再現の計画があったという話。

 

 

中城グスクの再現って、首里城みたいに?
それっていいじゃん♪

 

と思うでしょ?

 

その築城プランと言うものがこうです。

 

●大きな観光資源として、沖縄の観光事業振興に寄与するのがねらいである。

 

ふむふむ。

 

●中城公園は自然環境に恵まれ、
完全に残された古城が強みで、観光地としては最適の条件である。

 

ふむふむ。

 

●本丸(一の郭)からの展望が特によく、
東海岸、西海岸、慶良間列島、遠くは国頭の連山も良く見える

 

うん、そうだね。

 

●…ので、本丸跡に5階建ての中城城を再現して

 

…ん!?

 

●屋上には展望台を設ければ更に眺めはよくなり、
本島全体が展望できるので沖縄名物になること間違いなし!

 

いやいやいやいやいや!!

 

●(建物の)設計は文化財保護委員会の研究によって
努めて中城城をそのまま再現したい!

 

5階建ての時点でそれはもう中城城じゃないし(汗)

 

5階建てって…絶対本土の天守閣を備えた城をイメージしてるよね…。
(記事内の城の写真は"築城ブームで再建された彦根城"と…)

その頃本土では築城ブームだったらしく
この中城城の「再現」計画も
必ずブームを巻き起こすだろう、と
陸運課観光課係職員は賛同していた、とのこと。

 

この計画を打ち出したのが
高良一氏。

 

はい、中城高原ホテル(廃墟ホテル)の創立者です。 

 

文化財保護委員会の許可が下りれば
すぐにでも着工したいと自信満々。

計画通り実行するために、最悪の場合は
重要文化財の指定解除もやむなし!
と強硬姿勢だった高良氏。

 


この件は観光(経済)か、史跡保護か、と
大きな論争が繰り広げられたらしいのですが、

結局、一の郭へのトンデモ中城城の建設はなくなり、
時を移して作られたのが、

あの中城高原ホテル

ということになります。

そして、その後の結末は、皆様ご存知の通りであります。

 

参/『写真が語る護佐丸の居城―中城城跡とその周辺』(中城村教育委員会/平成16)

 

 

観光と、文化財の保護と、活用と。


何に価値を置くのか、

何が大切なのか、

何が求められているのか、

これからも考えていかないといけない大切な視点です。

琉球・沖縄の歴史文化を楽しむためのお手伝いをします〈お仕事依頼、サンプル等はこちらから〉

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◆既存のイラスト・写真の二次利用依頼

◆イラスト・写真の新規依頼

◆企画協力・歴史ガイド・歴史講座・取材などの依頼


1)依頼したい内容(※二次利用希望の場合は該当する画像が載っているブログ記事やツイッターなどのURLも)
2)日程(締め切り)
3)依頼に対するご予算

以上の3つを明記の上、こちらのアドレスまでご連絡下さい。

✉gajumaru_wawa☆yahoo.co.jp (和々宛て)
☆を@に直してご利用ください

 

 

☟☟過去の実績、イラスト/写真のサンプルはこちら☟☟

 

 

【イラスト】について

イラスト利用実績例

<書籍>
●『琉球戦国列伝』(ボーダーインク)
●『あやしい!目からウロコの琉球・沖縄史』(上里隆史著/ボーダーインク)
●『人ものがたり』(琉球新報社)
●『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』(ボーダーインク)

<新聞・冊子>
● 沖縄タイムス65周年特集「今も昔も宝島―琉球の歴史と文化と健康エンターテインメント」
● 琉球新報りゅうPON!「人ものがたり」連載
● 南城市広報誌「なんじょう」表紙
● デアゴスティーニ「週刊 日本刀」

<その他>
● 勝連城跡前あまわりパーラー自販機用イラスト
● NHK特番「琉球王国の秘密~ドラマ・テンペストの世界~」
● 教育旅行・団体旅行向け体験プログラム「琉球浪漫ミニシアター」パンフレット教材
● 現代版組踊「屋蔵大主物語」を活用した地域活性化プロジェクトツアーパネル
● 現代版組踊「肝高の阿麻和利」スタンドバナー、販売パンフレット、15周年記念のぼり
● トヨタカローラ沖縄CM 阿麻和利&百十踏揚パペット人形デザイン
● 2013オールトヨタ夏休みキッズカーニバル琉球偉人ぬりえデザイン
● 体験王国むら咲むらを拠点としたタイムスリップ!読谷歴史ツアーパンフレット
● 名護市溝原貝塚発掘調査看板
● 護佐丸歴史資料図書館「護佐丸の血を引き継ぐ者~毛氏子孫の物語」展 ポスター、展示パネル

など 他

 

◆人物イラストサンプル+α◆
絵柄タイプは以下の6パターンです。

(画像サンプルは今後も追加、差し替えなどをしていく予定です)

 

①【通常タイプ】6頭身前後(これまで最も描いてきた絵柄)

 

 

 

②【キラキラタイプ】7.5頭身前後/少女マンガ調

 

 

③【ちびキャラタイプ】3頭身戦後/デフォルメマンガ調


 

 

④【ニュートラルタイプ】5頭身前後/マンガ感をやや押さえたタッチ

 

 

 

⑤【マスコットタイプ】3頭身前後/マンガ感をやや押さえた、絵本・イラストカット調

 


 


⑥【人物画タイプ】やや人物画に寄せたタッチ

 

 

 

◆風景・自然・物イラストサンプル◆

 


 

◆こんなことも得意です!◆ ~琉球史の知識を活かした、イラストの展開~

 

【イラストを使った図解・図示化(系図や相関図など)】

 

 

 

【マンガ(4コマ、1コマなど)】民話や伝承のマンガ化から、歴史ネタを元にした創作まで


 

↑『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』スピンオフマンガ
 キラキラ琉球史ゆんたくマンガシリーズ(ツイッターにて公開中)




おきなわ石獅子マンガ*ふぇ~ぬ新城くん
(ツイッターとブログで公開中)

  

 


【キャラクター化】(神獣・神・物の怪・モノなど)
 

 

 

【写真】について

写真利用実績例

<受賞>
● 第6回沖縄の水デジタルフォトコンテスト入賞・入選
● I Love うちなーデジタルフォトコンテスト うちなーの食べ物部門入選

<書籍>
●『琉球戦国列伝』(ボーダーインク)
●『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』(ボーダーインク)

<新聞・冊子>
● 沖縄タイムス65周年特集「今も昔も宝島―琉球の歴史と文化と健康エンターテインメント」
● トヨタカローラ沖縄季刊誌ティアララ
● 沖縄トヨタ「充実・安心カーライフ」表紙
● 第3回プリウス・アクアカップ2014燃費王決定戦リーフレット

<テレビ>
● 沖縄トヨタ自動車CM エスクァイア「ここからだ篇」
● 沖縄トヨペットCM エスクァイア「ここからだ篇」

<インターネットサイト>
● たびらい沖縄・達人指南「今帰仁城跡」
● 多言語沖縄観光情報ポータルサイトOkinawaTravel Info

など 他

 

◆写真サンプル◆

 
  
  
   

 

 

【企画協力・歴史ガイド・歴史講座・取材】について

実績紹介

【企画協力】
・テンペスト体感ツアー/角川マーケティング
・ラジオドラマ『月下に語る』/FMよみたん&TAO Factory
・現代版組踊大交流会&ファン感謝祭2012
・沖縄トヨタグループ×Ryukyu Kingdom CM及び関連プロジェクト
・沖縄タイムス65周年特集「今も昔も宝島―琉球の歴史と文化と健康エンターテインメント」
・体験王国むら咲むらを拠点としたタイムスリップ!読谷歴史ツアー/読谷村観光協会
・NHKテレビテキスト「趣味どきっ!開け!世界遺産」
・世界文化遺産プロモーションコンペ


【歴史ガイド・歴史講座】 数えてないので正確な数字は分かりませんが、大小合わせて50回以上の経験あり
・池上永一氏公認テンペスト体感ツアー公認ガイド/角川グループ
・オモシロ琉球史講座:古琉球の偉人たち/読谷村立図書館
・琉球歴女のおもしろ琉球史講座&ワンデートリップ/読谷村教育委員会生涯学習課
・歴女の尚巴志歴史ユンタク会/南城市
・某中学校総合学習(琉球史コース)授業づくりアドバイザー&ゲストティーチャー
・中学生対象琉球史講座&世界遺産巡りガイド


【取材】
・沖縄タイムス「島人夢人」
・朝日新聞(九州版)「沖縄の40年ルート58」
・琉球新報「オキナワ熱中女子」
・現代版組踊「肝高の阿麻和利」販売パンフレット
・たびらい沖縄・達人指南「世界遺産・琉球のグスク群の楽しみ方」「座喜味城」「今帰仁城」

など 他

「沖縄=マリンリゾート」の歴史

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今日は海の日。

ということで、過去にUPした海写真の一部を再掲載。

 

 

 

海と一言で言っても、
日の出( )や日の入り( )の時はまたガラッと雰囲気が変わるし、
夜の海なんかも神秘的で素敵。

 

 

それでも、

やはりこの晴れた日の青い海には、
いつ見ても、
ウチナンチュでも、
テンション上がりますよね。

 

 

そしてこの透明度。

思わず全く用意がないのに
ざぶーん!と服のままダイブしたよ。
(そしてぬれたまま帰宅(笑))

 

 

本土の人にとっても、
現代に生きるウチナンチュにとっても、
沖縄と言えば

海!

しかも

青い空!

青い海!!

白い砂浜!!!

 

先日放送されたRBC特別番組「おきなわMOSAIC」、
#残したい沖縄 
でも、海が断トツでトップでした。

 


まさにこのような。

 

 

 

このように定着しきった
沖縄=海
のイメージですが、

このような、
いわゆるリゾートとしての沖縄の海というのは

沖縄が復帰した1972年、
「沖縄振興開発計画」の中で
戦略的に作られていったイメージなのだとか。

そうです、海洋博です。

名前からも分かる通り、
海をテーマにした一大イベント。

この時に沖縄の海を観光資源として大きく売り出し、
マリンリゾートを目的にした観光客も増加。

そしてそれは現在も続いている…というわけです。

(ちなみに、
じゃあ復帰前までは、沖縄に旅行に来る人は何を目的にしていたのか
というと、沖縄戦の慰霊旅行なのだそう)

 

なので、歴史的にながーい目で見ると、

沖縄=海ー!!(ウェーイ!)

ってなったのは、ここ最近のことであって
意図的に売り出されて定着したイメージ、
ということになります。

 

だから、復帰以後の時代に生まれた私としては
「沖縄と言えば海!」っていうのが既に出来上がっていて、
それが当たり前の感覚だけど、

もしかしたら、復帰前の、戦後すぐ生まれの方などにとっては、
「沖縄と言えば海!」とはまたちょっと違った感覚があるのかもしれませんね。

年配の方だけに #残したい沖縄 を聞いたら
もしかしたらまた違った結果になっていたのかも?

 

 

青い空、青い海、白い砂浜自体は
今も昔も(王国時代も)、
変わらずそこにあったものだけど、
最近まではそれが価値あるもの、地域の宝(特色)、だという事には
気づいていなかった、活用していなかった。

復帰後、それを見出し、活用し、成功・定着した。

しかしそれは同時に「THEリゾート沖縄」による
弊害や矛盾(リゾートホテル建設による自然破壊など)
という面も生み出してしまった。

 

 

観光立県沖縄、まちづくり、まちおこし…etc

このリゾート沖縄の歴史・出来事からは
色々と考えさせられるし、
良きも悪きも学ぶべきだな、
と思った次第です。

 


 ↑クリックで東洋経済STOREにジャンプします

 

以上のような内容にも触れた
先日の浦添市市民大学公開講座で紹介されていた本。

『沖縄イメージの誕生』(多田治著/東洋経済新報社)

 

読んでみたいと思います。

 

参/
RBC特別番組「おきなわMASAIC」
浦添市てだこ市民大学公開講座「浦添・沖縄の歴史とその可能性~足元に眠る『宝』を掘り出す~」

中城高原ホテルと中城グスク(遠景)

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中城村泊の農道から望遠レンズで撮った
中城グスクと廃墟ホテル(中城高原ホテル)。

遠景で見るとなんだか新鮮。

 

…と同時に、

アレ?

こんなに廃墟ホテルって見えてたっけ?

ほら、平場になっているとこ。

 

 

解体に伴って周りの伐採とかをして
見えやすくなったのか、

この撮影場所からなら見えてたものなのか、

それとも単に私が気づかなかっただけなのか?

 

こうやって遠景で、横からみたら
グスクと張る、なかなかの広さですよね。
(っていうか、当初はそれこそ「グスク」を建てたかったんだよね…)

 

 

アップで。


ここから見ると、
まだ大して何も変わってないように見えますが、
今は内部の撤去作業をしているようです。

ダイナマイトや鉄球で一気にバーン!
…というわけにはいかないですからね。

歴史の道という史跡のど真ん中に建っているので
周りの史跡を保護しつつ
慎重に時間をかけて解体されていくのでしょう。

 

2019年7月の記録として。

長寿宮・長寿寺跡

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夜の歓楽街として有名な、那覇市松山。

窓のない大きな建物に囲まれた
そんな一角、

 

 


セクシーなお姉さんの幕が掲げられている、
そんな場所のすぐそばにたたずむ、

ひとつの史跡碑。

 

 

「長寿之宮」

 

 

尚金福王の時代、
当時"浮島"だった那覇と本島を繋ぐ海中道路、
いわゆる長虹提の建設計画が上がる。

国相・懐機は
海を埋め立てて道をつくるという難工事は
神仏の力なくしては成し遂げられないとし、

祭壇を設け、
二昼三夜祈ったところ、
水が引き海底が表れた。

いまだ!と人民を総動員して
(そのイメージ写真がこちら
みごと長虹提を作り上げることができた。

懐機は神仏に感謝し、
長寿宮を建てて天照大神を祀った。
また、長寿寺を建てた。

 

参/『球陽』

 

 

実際、この場所は長虹提のそばにあたります。

 

当時は神社お寺は二つセットだったので(神仏習合)
長寿宮・長寿寺が同じ場所に建てられた(併設)、
ということですね。

 

銘には「長寿之宮」とあるので
長寿宮(長寿神社)跡なのですが、
同時に長寿寺跡でもあるのです。
(本によってはここを長寿寺跡として紹介しているものも)


また、長寿寺は懐機が私邸を喜捨して造られたとあるので、
まさにここは

懐機のおうち跡

とも言えると思います。

 

なお、長寿寺は明治に廃寺になり、
長寿宮は浮島神社と名前をかえ、色んな経緯をたどって
現在は波上宮に移されています。

戦前までは祠が残っていたそうなので、
今あるこれは、それを元に建てられたものなのでしょう。

 

参/
『沖縄の神社』(加治順人著)
『沖縄は仏教王国だった』(川上正孝著)
『三十六の鷹』(亀島靖著)
『沖縄大百科事典』

思五郎が行く、再チャレンジで読了

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『思五郎が行く(上下)』
(与並岳生著/新星出版)

小説『百十踏揚』を書いた世並岳生さんの、
玉城朝薫を題材にした小説です。

 

この本を最初に手に取ったのは
実は9年前。

読み始めたはいいものの、
その時のワタシにはなかなか入りづらく、上巻の前半で挫折。

 

あれから時が経ち、
近世の知識も入って来たし、
組踊300周年のこの機会に
もう一度チャレンジしてみるのもいいかも?
と、図書館で手にしました。

9年前、自分で購入して持っていたものの、
挫折によりいつだったか断捨離してしまい、
もう手元になかったのです。

しかし…やはり琉球史モノは断捨離するべきじゃなかった~(後悔)。

小説としてもさることながら、
与並さんの小説はうんちくが豊富で
(これが時にはつまずきにもなるのですが…(苦笑))
歴史ネタの宝庫、とも言えるのですよね…。

どこまでまた買い直したいですね…。

 

 

さて、この小説は組踊を創ったことで有名な
玉城朝薫が生まれてから死ぬまでを描いた物語。

その過程で、組踊や江戸上りのことはもちろん、
同時代の偉人たち、
尚敬、蔡温、程順則、平敷屋朝敏も登場。
そして薩摩や江戸の大和の著名人や、徐葆光などの清国人も。

今回無事に読了できたのは
主に「現代版組踊 琉球伝信録」をきっかけに、
その時代やできごとをあらたか知っていたから
と言うのも大きいかも。

そうそう、同時代が舞台の小説『黙示録』(池上永一著)も5月に再読してたしね。

 

読む側のワタシに知識のベースができていた。

それがなかったから、
9年前はついて行けなかったのかも

 

今回この『思五郎が行く』を読んでの1番の収穫は
「踊奉行ではない玉城朝薫」が大いに知れたこと。

朝薫と言えば組踊、組踊と言えば朝薫。
「劇聖」とあがめられる琉球の偉大な芸術家。

今日、朝薫はそういう枠でしか語られないし、
そのイメージしかなかったのですが、

彼が踊奉行だったのは人生の中の一時期にすぎず、
むしろそれ以外の役職についていた時期の方が多いこと。

彼は確かに芸能の才能に秀でた芸術家であったけれども、
王府のいち役人、しかも今の大臣にあたる官僚でもあった、ということ。

那覇港の、海中に堆積していた泥をさらうという
一大土木工事の監督責任者でもあったってのはびっくり。

その土木工事の存在自体は知ってただけに、
それが朝薫と繋がってたとは思ってなかったよ。

朝薫の才能・活躍の幅を知り、
目からウロコでした。

 

人物描写としては、
朝薫は多くの人に愛された、優しくて努力家で誠実な人。

蔡温は琉球のためにと振るうその才能と実行力が頼もしいながらも、
その強引さがなかなかのワンマンぶり。
見方によっては策士っぽかったり。

でも蔡温VS朝敏(平敷屋・友寄事件)に関しても
どっちが善(是)か悪(非)かとかではなく、
どちらにもそれぞれの正義や言い分があり、
そしてどちらにも至らない部分、欠点がある。

尚敬王然り。

当時の琉球をとりまく環境、状況、矛盾点、
その上にそれぞれの理想や信念や思惑が絡み合ってて、
理解が深めることができました。

 

現代版組踊 琉球伝信録とかも、
まさにこの話でもあるから
演者さん、関係者さんでまだ読んでない方は
是非読んでみて!
役作りの参考になるかも☆

 


朝薫の墓

 

「手水の縁」のこととかもね。

これは同じ与並さんの代表作、「百十踏揚」に出てくる
「護佐丸と阿麻和利の関係」にあたる部分だと思いますね。

 

もちろんこれは小説なので、
書かれていることすべてが"正しい"わけではなく、
作者の憶測や想像、脚色などもあるのでしょうが、
(朝薫の奥さん、ンタルのこととか、
朝薫の最期とか、そのあたりのこととかキニナル…)
与並さんはそのあたりの史実とフィクションの入れ方がすごく巧妙で、
しかもリアリティがあるから、
どこまでが史実でどこからが脚色なのか、気づかないくらい。

その点、今度はこの小説をベースに、
歴史的な事実を調べて行こう。


「次」につながる、そんな指針をくれた小説でした。

漢那グスク

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親子連れで大いににぎわっている
宜野座村の「道の駅ぎのざ」

その向かいにある丘が、
漢那(かんな)グスクです。

 

 

5年前くらいに撮った案内板。

今もあるかな?

それか、リニューアルされたかな?

 

 

グスクの内部を目指して丘にも行ってみたけど、
更地になっていて、なにやら工事をしていたようで
遺構などは見ることはできませんでした。

工事は住宅などではなさそうだったので、
展望台的なものかな?とその時は思ったんだけど、
結局なんだったんだろう?

(今はもしかしたら入れないかも?未確認)

 

 

上からの眺め。
(まだ道の駅ぎのざができる前)

案内板にもある河口の入江が良く分かります。

かつて、多くの山原船が行き来した場所。

 

↑クリックで拡大

 

現在。

 

山原船の賑わいはなくなりましたが、

かわりに

多くの子どもたちの声で賑わう場所になっています。


きじむなー と けんむん

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お仕事依頼ページのサンプル画像に追加掲載していた
琉球物の怪のキャラクター化のイラスト。

毎度おなじみ

キジムナー と ケンムン です。

 

ケンムンは奄美大島キジムナー的存在なのですが、
その姿はキジムナーとはちょっと違う。

奄美のアレコレを絵で描いた
『南島雑話』に描かれているケンムン


毛むくじゃらの河童

という外見。

頭頂部が剥げてて、毛長で、手足は長くて、手先足先は黒い。

ぽや~っとした愛嬌のある顔をしています(^^)

 

そんな似ているようでちょっと違う、
キジムナーとケンムンを
私なりにデフォルメ&キャラクターにしてみました。

着彩は紅型調に隈取を施しました。

昔はちょっと違う姿だった、皮弁冠

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琉球の王様と言えば、この冠をすぐに思い浮かべる人も多いでしょう。

写真↑は首里城正殿で常時展示されている冠。

現物(国宝)のレプリカです。
(現物は那覇市歴史博物館蔵で毎年定期的に展示されます)

この冠は皮弁冠(ひべんかん)と言い、
冊封の際、琉球王の証として中国皇帝から与えられました。

 

 

こちら、お仕事依頼ページ用に書いたイラスト。

現代版組踊御後絵:尚巴志のちびキャラバージョンです。

琉球王の正装である、皮弁冠に皮弁服。

 

実は…この皮弁冠、
現在見ることのできる皮弁冠と
ちょっと変えていることにお気づきでしょうか。

 

明が清になると色々と事情が変わり、
皮弁服も琉球側で自作(反物は下賜)、皮弁冠も自作…となっていきます。

なので、現在見ることのできる皮弁冠は、
近世に琉球国側で自作したもの、ということになります。

(首里城南殿に並べられている御後絵を、時代に沿って見ていくと、
ある時期から冠が変わり、衣装もどんどん派手になっていってるのが分かりますよ)

 

しかし、古琉球の時代は
冠も服も出来上がっているものを直接下賜されており、
もちろんメイド イン ミン(明)。

その当時の物が沖縄に一切残っていないのが残念なのですが、
皮弁冠自体はなにも琉球国王だけが使っていたわけではなく、
他の朝貢国、それから製造元の中国にもその姿を見ることができます。

それらを調べてみると、
結構細かい所で違うんですよね。

 

 

それがこちら。

冠の筋列が7列、というのは結構知られていますが、
他にも簪の形、額部分の装飾の形、側面部など。

玉の配置も、今の見ることのできる皮弁冠はバラバラですが、
明代のものは揃っています。

資料によって全体のフォルムなども微妙に違ったりするのですが
(簪が逆差しのものも)
大きく分けると、以上のような違いが見受けられます。

 

明から清への時代の移り変わり、
そして古琉球から近世琉球への移り変わり。


その時代の違いを出す(表現する)ためにも、
私は、古琉球(特に御後絵が残っていない三山~第一尚氏期)の皮弁冠は
このような違いを意識して描くようにしています。

シーサーらしさって…?

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沖縄と言えば、

というものの一つに

「シーサー」

がありますね。

観光客が大勢で写真を撮るときに

「はい☆シーサー!」

って言っているのも見かけたりもします。

※ちなみに地元民はそんなかけ声はしません。

 

 

なので、沖縄色がテーマのイラストなんかでも
シーサーが描かれることも多いし、

ちょうど今は夏休みですから
シーサー作り体験とか
図工の宿題で作ったりとかした(する)人もいるかも。

 

ではここで、
シーサーを描く・作る時のポイントをお教えします。

 

くちマギー(大きく)

鼻マギー(大きく)

たてがみぐるぐるぅ~

 

です。

 

繰り返します。

 

くちマギー

鼻マギー

ぐるぐるぅ~

 

はい、覚えました?

 

この3つさえ押さえておけば、
それなりにシーサーらしくなります。

 

目をぎょろ目にするというのもありますが、
個人的にはそれよりも鼻マギーのほうが優先だと思ってます。
目がつぶらでも鼻マギーのほうが、その逆よりもらしく見えるので。
くちマギーは必須。第一必須条件。

 

 

しかし!

今述べたポイントは、
現在一般的な、量産もされているシーサーのフォルムを元にしたもの。

 

クールなシーサー(うん)

 

こーゆーのね。
(普通のシーサーを撮った写真が全然見当たらなかったので^^;
イラスト沖縄さんのフリー素材を拝借しました)

 

でも、ちょっと意識を街中のシーサーに目を向けてみると
シーサーのビジュアルはもっと様々で
色んなバリエーションに富んでいます。

たてがみだって、
ぐるぐるぅ~じゃないものも色々あります。

完全ストレートロングで後ろに垂れてたり、
ストレートの毛先だけワンカールだったり、
パンクロックの人みたいにピーンと逆立ってたり、
髭みたいにちょろっとしかなかったり、
長かったり短かったりetc…

 

 

なので、

シーサーは、
現在の一般的なフォルムにとらわれすぎることなく、

 

くちマギー

鼻マギー

(基本)たてがみは入れるが好きにしろ!

 

あとは自由!!!

 

でやるのをオススメしています。

顔の形も、動物型の耳さえあれば
丸でも四角でも三角でも、長くても短くてもいい。

そのほうが紋切型ではない、
個性的でバリエーションに富んだシーサーが描ける・作れると思っています。

 

 

実際、先人たちはもっと自由に、
おおらかな精神でシーサーを形作っていました。

 

(長くなりそうなので、つづく)

貴重!村シーサーの○○ポーズ!

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前回の続き。

シーサーの造形について。

 

現在、シーサー「らしい」とも言える、
一般化された造形がありますが、

本来シーサーはもっと自由で、
もっと個性的で、
もっとバリエーションに富んでいました。

先人たちが自由に、
おおらかな精神で作ってきたシーサーは
今でも沖縄の各地で見ることができます。

 

それは……

 

村シーサー 

こと 

石獅子!!

 

現在の私たちがイメージする、
シーサー「らしい」なんて、
吹き飛ばしてしまうほどの自由な造形に
ノックアウト必須です。


これまでもいくつか紹介してますが、
今日ご紹介する村シーサー君も
なかなかのものです。

 

 

 

どん。

 

沖縄市古謝のアガリヌシーサー(東之獅子)。

くちマギーに
鼻マギー。 

 

顔のインパクトもすごいけれど、
このシーサーがすごいのは
顔と言うよりもこちら。

 

 

立っている!!!

短い手(前足?)を広げて
立っておられる…!!

仁王立ちとか、
マジムン(悪霊)をガードしている…というよりは…、


え、ハグ…?

 

 

 

 

横から見た図。

足(後ろ足)は無いように見えるけれど
地面に埋もれているだけで
本当はあったのだろうか。

それとも安定させるために
最初からなかったのだろうか…。

 

 

バックショット。

まるで亀の甲羅を背負っているような重厚感。

…っていうか、
耳もたてがみもないことも重なって
亀キャラのようだ。
(タートルズ的な…)

 

村シーサーには耳なしが多い説、な。

 

 

ずんぐりむっくりなフォルムが
愛嬌がある村シーサーです。

 

 

このアングルから見るのが1番可愛い。

なお、
津堅の海峡に向けて設置されているのだそうです。

 

古謝公民館の近く、
車通りのある道沿いに場所にあります。

(最初、公民館の裏手とか住宅エリアばかり探してて
なかなか見つけきれなくて、
諦めて帰ろうと車を通りに出したとたん見つけたパターン

 

 

参/民藝(795号)

意外!? 南風原石彫魔除獅子の○○姿

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前回に引き続き、
特に個性的な村シーサー君を、
もうひとつご紹介しましょう。

 

南城市大里にある、
南風原石彫魔除獅子。

 

 

どん。

 

 

 

南風原バス停のそばにあり、
足元には綺麗に手入れされた花壇になっていて
集落で大切にされていることが伝わりました

 

 

鼻はめずらしくつぶれており、
あまり主張していませんが、
口は閉じ気味とは言え、やはりデカイ。


そして、斜めからみると分かる、
しゃくれ顎(笑)


アーンド、
両津勘吉(BYこち亀)眉。

 

顔もいいが、
四股がまた魅力的。

 

 

左向き。

後頭部にたてがみらしきものも見えますね。

耳は……不明。

 

ネットや書籍などで紹介されるのは
大抵正面図や斜め図ばかりなので、

今回はレアな斜め後ろ姿も公開!!

 

 

胴体は無いに等しいが
しっぽはあった…!!

 

むしろこの村シーサーの1番のポイントは
顔よりもここなんじゃないかとも思う
和々なのであった。

琉球の花火

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組踊300周年記念イヤーも後半戦、
加えて夏休み期間ということで
あちらこちらで組踊関連の企画が
目白押しですね。

お盆時期恒例の沖縄ホラードラマも
今年は「琉球トラウマナイト」「オキナワノコワイハナシ」の
2夜連続で『執心鐘入』題材の話があったのには
さすがにぶっとびました

おかげで10年前に執心鐘入のあらすじを紹介した記事が
ここ数日ずっとアクセス数トップです。

どうもありがとうございます。

 

 

しかし、私は組踊は組踊でも、
今、興味関心がアゲアゲなのが

琉球の花火

なのです

冊封使をもてなす宴で芸能(琉舞や組踊)が披露され、
そのクライマックス、おおとりとして披露されたのが
なんと「花火」でした。

以前、このニュースで『火花方日記』の絵図を見た時から、
琉球の花火にすっかり虜になってしまいました。
(動画は公開終了で現在は見れません。残念…)

 

 

琉球の花火は
打ち上げ花火や手持ち花火ではなく、
スタンド式のからくり仕掛け花火。
(※ただし時代によって変化あり)

1866年(尚泰冊封)の『火花方日記』に記録されている花火は
どんなものかというと、

 

こんなん。

ちなみにこの画像は、昨日行われた首里城講座
『琉球国の舞台と花火―甦る300年の伝統ー』
で配られたチラシです。

現在の私たちが「花火」と聞いて
イメージするものとは違う驚きと、華やかさがあります。

講座でもこの画像が写し出されとたん
会場から「わぁ~」と声が上がっていました。

 

赤いふさふさが火です。
噴水状のものと、回転式のものと、
それから飾りを魅せるための照明(ランプ)としての花火。

ちなみに着火前は、

 

 

こう。

こちらも同上のチラシ(裏)より。

どういう仕組みで着火だけであれだけの展開が可能になるんだろう…

 

このようはスタンド式のからくり仕掛け花火が
他にあと4種類あって(全5種類)
それぞれ異なる趣向をこらしています。

この花火の担当者(火花方)任命や
5つの花火のうち誰がいくつ担当するかを巡って
ライバル争いがあったというエピソードは
みんな必死で、人間臭くて面白かったです(笑)

↑の花火を担当した安里さん(安里筑登之親雲上)は
父・祖父が花火を代々担当してきた家なのに、
他のライバルに負け1つしか担当させてもらえなかったらしい。

最初は不服申し立てをするも、
本番が終わって後の(冊封使からの)リクエスト再演に指名されればいいや、
と、申し立てを取り下げ、本番は1つということに甘んじたのに、
まさかのリクエスト指名もされなかったという…

 

そんな安里さんの花火↑が
今秋、復元披露される予定です→  

 

その前に、

 

こちらの講座もいかがですか?

国立劇場おきなわの研究講座「17191年朝薫の舞台」

 

花火について特化した講座もあるので
要チェックです!

全部平日開催ですが、入場無料です。
(要受付・先着順)

 

 

ところで、今年の首里城の中秋の宴は
影を潜めすぎているんだけど
なんなんだろうか…。

一応日程は9月14・15日みたいだけど、
(県博の首里城関連の掲示物で確認)
公式HPには出てないしチラシも見ないし、
プログラムも不明。

組踊300周年の、
正真正銘の現場である首里城の、
中秋の宴で、
特別なにもない?って……いいんだろうか…

組踊300周年イヤーの集大成は、
まさにこの首里城中秋の宴だと思っていたんだけど…
ちがうのか?

仮に何かする計画があるとしても、
今になってもちゃんとした情宣がなさすぎるのは、不安…

KUMIODORI300-組踊展―

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組踊300周年記念展示会、
その名もズバリ
「KUMIODORI 300ー組踊展ー」

県立博物館と首里城の2会場で同時開催中です。

https://kumiodori300.okinawa/event/20190711-0825-exhibition/
https://kumiodori300.okinawa/event/20190705-1114-exhibition/

 

県博の方が展示規模が大きく本格的なのですが、
会期があと1週間!
(首里城は11月まで)

そこで、県博のほうの見どころを
簡単にレポートします。

 


『執心鐘入』の元ネタともいえる
『道明寺縁起』が初公開!

執心鐘入のストーリーと比較しながら
絵巻を見ることもできて面白いです。
道明寺そのものにも興味がわきます。

 


村(地方)に伝わる組踊の数々の衣装や小道具!

これだけの衣装を一堂に見れるのはなかなか貴重!
宜野座村の『本部大主』、
多良間島の『忠臣仲宗根豊見親組』が特に興味深かったな。
「鎧」の表現が面白いの。

国賓に対して踊られた(古典)組踊とは違って
近代になって村々で演じられてきた組踊は庶民の目も加わり、
よりショー的なビジュアルになっていった部分
(ある意味では庶民的ながらも健気な工夫)もあるのかな、
と想像しました( ˘ω˘ )

こういうごてごてした装飾って、
古典組踊ではあまり見ない気がするもの。
特に男性キャラ。

琉球創作をしてる人(絵とか舞台とか)には
いいヒント・資料になるかも。

衣装、後ろからも見たかったな。



組踊名優たちの衣装・小道具
『二童敵討』のあまおへ(阿麻和利)だけでも
こんなにバリエーションが!

向立(鍬形部分)も似ているようでちょっと違う。
統一されている形というわけではないのね。

(今の肝高の阿麻和利の阿麻和利のように
真ん中部分がつながっている向立も!)

どの阿麻和利衣装が好みか、話の種にできそう。

 


片山春帆の『芸能画帖』!

個人的にはこちらもポイント高し!

組踊をスケッチ+淡彩したものがステキング!

クロッキーなので、ささっとした線なんだけど
それがまた良くて、憧れる…

 

 

個人的な推しポイントは以上の4つですが、
音楽に焦点を当てたコーナーや
NHKの「沖縄の歌と踊り」の上映もあります。

上映はダイジェストとかじゃなくて
各演目がっつり見れます。

こちらは無料スペースです。

ちなみに、展示は3Fですが、
1Fのジブリ展の手前では
4Kで組踊を上映してましたよ。

演者や公演にこだわらず
綺麗な画像で見たい方はこちらもオススメ。

 

 

首里城での展示は
南殿と黄金御殿だけなのでこじんまりとしていますが、
首里城出土の、アノ兜の鍬形を生で見れます!


クーデターと七日浜

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沖縄本島の東側、
国道329号線を北上して、
金武町に入ってすぐの所にある
案内板とモニュメント。

『ようこそ 海外雄飛の里 金武町へ』

というのは、
移民の父、當山久三にちなんだもの。

 

このモニュメントの、

裏手に、

 

 

こんな石碑がひっそりと建っています。

 

その名も

『七日浜の碑』

 

 

當山久三からずーっとずーーーっと時代をさかのぼって、

時は1469年。

第二尚氏のクーデターにまつわる碑です。

 

逆光で読めませんね

 

というわけで、
画像加工、えいやっ!

 

 

七日浜の碑

尚徳王が革命によって 尚円王の時代になったので
その一族が国頭に逃げる途中 人目を避けるため
昼は山の中にひそみ 夜な夜な歩き 歩行困難の場所で七日かかったので
七日浜の由来と言われている。
風光明媚であり 長い砂浜の美しい海岸である

昭和五十八年十月二十五日 竣工

 

他の口伝では、尚徳自身が久高島で革命を知り、
隠れ逃げつつ7日目にここに着いた、
…というのも見かけたりもします。

で、そのまま「北」へ…。

というね。

 

 

第二尚氏のクーデターも、
尚徳の死の直後に起こったのか、
それとも、
生きていて久高島にいる間に起こったのか。

尚徳は
病死か、毒殺か、自殺か、逃亡先で息絶えたのか。

色々あって謎に包まれています。

 

 

その七日浜。

尚徳の一族、または尚徳自身が
息も絶え絶え踏みしめた浜…かもしれない。

 

小雨がぱらついたりとが天気が良くなく、
景色がくすんでいますが
七日浜から南(石川、勝連半島)方面の見た風景。

現代版組踊20周年の特別公演:琉球伝信録

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琉球伝信録

2019年8月25日(日)

てぃるるホール

那覇青少年舞台プログラム+全国の現代版組踊チーム(有志)+OB・OG

 

2日目の朝公演を観劇ました。
(昼公演じゃなくて朝公演!)

 

 

+ + +

 

 

今回の公演は組踊300周年と、
現代版組踊発足20周年を兼ねた特別公演。

1部では平田さんコーナー、
2部が本編・琉球伝信録という2本組。

 

「琉球伝信録」は元々那覇の舞台なので
那覇チームが主ではありますが、
それに全国の現代版組踊チーム、
北海道から石垣までの有志+OB・OG、それに特別出演等が加わって
総勢70名余り(前回の1.7倍!)のスペシャルバージョンでした!

 

見ごたえが増さないわけがない。

 

全国からのメンバーはアンサンブルだけではなく
主要キャストにもがっつりキャスティングされて、

実際に一緒に合わせるのは本番間近になってからだろうに、
(ツイッターで拝見する限り1週間前とか?)
息の合った演技・演舞で、
最初から一つのチームだったように
まっったく違和感ありませんでした。

本当にすごい。

これまでも鬼鷲とか他チームが出演することはあったけど、
全国の10団体が参加して1つの舞台(アトラクションではなく)っていうのは
おそらく現代版組踊史上最大では!?

WOW!!

もう、現代版組踊チームは完全にボーダーレス!!

すばらしい!!

 

最後のメンバー紹介で
各チームごとに紹介&挙手して起立したのは
誰がどこのメンバーなのかがしっかり分かって良かったです!

パンフレットにも明記されてたけど、
実際に舞台上で紹介してくれて、その姿を見たら
より「おお~~~!」ってなる☆

 

 

ストーリーとか構成とか演出とか、
これまで書いてきていることは今回も同じく、
ということで割愛するとして、
今回印象的だったシーンをいくつか。

 

 

@玉城朝薫が組踊誕生に近づく心の移り変わり


重責を担って、悩み苦しみ葛藤する朝薫が
次第に手ごたえを確信していくシーン。
(BGM:星のゆりかご)

その心の移り変わりが手に取るように伝わりました。

いきなりドカーン!とひらめいてすぐに組踊ができたわけではなく
朝薫自身が試行錯誤しながらも、
「…うむ」「よし…」「そうだ…!」「これだ!!」と
組踊を作り上げていく様=時間の移り変わりも感じ
次の冊封のシーンへのつながりがとても自然に感じました。

男の子演じる朝薫も久々だー♪

クライマックスのダイナミック琉球では、
やっぱり扇子の振りが見たかったな。
琉球伝信録だけのダイナミック琉球って感じがあって、特別感が出ると思うし
主人公"踊奉行:玉城朝薫"を今一度印象付けられると思うんだー♪
(朝薫は空手をする武人=男群ではなく、文人=女群であってほしい派)

 

 

@完全強硬派の蔡温


対して、女の子蔡温は初めて見たかも!?

今回の蔡温は、迷いや良心の呵責など一切捨て去った完全強硬派。

簡単に言うと、完全敵役、嫌な奴。

おおぅ。

その分、(これまでに比べると)蔡温への好感度はちょっと下がるんだけど、
朝敏連行のストップモーション明け、すぐの
「さっさと連れて行け―!」のバンド音をかき消すほどの全力怒号100%は
メリハリが効いててドラマ性UP、トリハダものでした。

ふむぅ。

こう考えると、弱さを一切見せずに怒鳴る蔡温っていうのも
一切の迷いを振り切り信念をつらぬき通すための表れ…とも思えますね。

 

 

@最高のおじぃ感とサトウキビ感


三司官の…真ん中の人、伊舎堂親方?

現代版組踊ではいっさい外れがないおじいちゃんキャラ(笑)

私がすごいと思ったのは、場面転換しての初登場、
ライトが当たってその姿が見えたその瞬間、
ただ座っているだけ、まだ一言もしゃべってもなく動いてもないのに
その佇まいでそのキャラクターが伝わった事。

首を落とした前かがみの姿勢と、
唇を内側に隠した感じ(はーもー)と、
目をしょぼしょぼさせた表情。

それだけですでにおかしみを覚える。
(やはり、佇まいだけでキャラクターを表現すってできる!)

 

サトウキビ畑での他の2人の三司官とのやりとりもサイコーでした(笑)

名護親方も加わって、
はっさもー、じいちゃんじいちゃんしてからにや~(笑)

三司官も、基本、朝薫を良く思わない嫌な奴側なんだけど
おじい三司官をあれこれ世話するから、
何だかんだとみんな微笑ましく見えたよ(笑)

 

薩摩奉行のサトウキビも、
ざわわと自ら歌う前に、手の振りだけで「ざわわ」を感じたし、
「那覇センセイション」のフレーズをぶっこんできてたのも気づいたよ

 

 

って、ここまで書いて気づいたけど、
これらの演者さん、みんな那覇以外のメンバーだ(!)

細かいところまでだいぶこだわって演じてるなと感じたのは
那覇の舞台やその役を、徹底的に研究して努力した故なんだろうな。

なるほど納得。

 

 

もちろん、那覇メンバーも安定の演じ&演舞っぷりでした!

尚敬はまろやかで品のある声で凛としてたし
名護親方もおじいちゃん声だけどしっかり聞こえるいい案内役だったし
朝敏もその無邪気さとかわいさで人気をかっさらってたし。

アンサンブルの小学生メンバーもたどたどしさもなくしっかり踊ってて
これからの成長が楽しみ!

バンドも演奏するのが楽しい!っていうのが伝わる元気さでした。

 

 

@組踊:二童敵討


芸大卒業生による古典披露の演出も久々!

上り口説(の演奏)と、二童敵討。

あまおへ(阿麻和利)含む演者は全て女性の方でした。

(古典)組踊そのものの形式だったんだけど、
後で名護親方がしっかり解説してくれたのでノープロブレム。
(「阿麻和利さん、何言ってるか分からないね~」と…(笑))

披露は一部のシーンだけだったとはいえ、
(古典)組踊に興味を持ったお客さんもいたんじゃないかな!?

これぞ、現代版組踊の妙☆

現代版組踊はミュージカルじゃないの。

「現代版」の「組踊」なの

 

対して、友情出演の波上宮獅子舞保存会の獅子舞は
今回あまり目立ってなくてもったいなかったので、
もうちょっと表に出て来てても良かったな…。
(最後に紹介…も、し忘れてたよね?(^^;))

 

 

というわけで、
盛りだくさんの「琉球伝信録」スペシャルバージョン。

現代版組踊発足20周年の節目に、
全国の現代版組踊チームの底力と可能性を
大いに見せつけてくれた公演でした

 

全国の現代版組踊チームの活躍を
これからも応援しています!

 

 

 

+ + +

 

 

 

ただ、

今回、

残念だったことが一つ。

ごめんなさい、
やはり今後の現代版組踊運営のためにも大事なことだと思うので
書かせていただきます。

 

それは、
第1部の平田さんのパート
(現代の踊奉行・平田大一の夢物語-いろんなゲストとコラボします!30分枠)が、

開演15分前に始まって、
開演5分で終了したこと。

実質20分。

(内容は平田さんソロの「星のゆりかご」と
ゲストとの「ダイナミック琉球」の計2曲)

 

あくまでも開演は10時30分だったので、
15分前(10時15分)に始まっている最中にも
お客さんはどんどん入ってくるし、
ゲストとのコラボも、たった1曲で終わったのは

「え、これで終わり!?(開演前に始まったのは早く来た人のためのサービスじゃなくて!?)」

ってなりました。

 

ええ、わかります。

2部の本編が思ったよりも長くなっちゃって
1部の平田さんの方を短縮せざるを得なかったんですよね?

そして、午後の公演時間の関係で後ろにずらすことはできなかったから
開始を早めるしかなかったんですよね?

そんな運営上の事情も、大いに察せますよ。

 

 

でも、

そうなら、

せめて、

前もってちゃんと情宣しなきゃ!

ツイッターでもHPでもブログでも!
すべての媒体で!

こういう事情で開演が早まりますって。
チラシ情報とは変わってしまうけど、ご了承くださいって。

たとえ、時間変更の決定が、公演直前、前日であっても!

見に来るお客さん全てにこの変更を周知させるために
必死になって動かなきゃ!!

(本来なら、予約してる人には全員、直接電話して伝えるべき。
開演時間の前倒しはそれくらい大変で、大事なこと)

 

私はたまたま早めについたから
最初から全部見ることはできたけれど、

もし開演直前に到着してたら(その可能性も十分あった)
平田さんの1部はほぼ見れなかったわけで…。

実際、他のお客さんの中には、そうだった人もいるわけで。

公演時間に間に合わせて来ている人には、
何も落ち度はないのに、
本来見れるべきものの大部分が見れなった、
というのは…いかがなものでしょう?

 

平田さんの1部は今回の公演の特別枠、目玉のひとつだったはずなのに、
このような形になってしまっていたのは
非常に、非常に、残念でした。

そして、披露された2曲はやはり素晴らしかっただけに、
ちゃんと30分枠でもっとしっかり聞きたかったよ…。

 


運営さんへ。

私もこれまでにイベントの主催側だった経験もあるし、
主となって企画したり全体を動かす立場だったことも何度もあるので
運営の大変さも十分わかります。

でも、

公演の「全て」を楽しみにして、
お金を払って、遠方からも見に来ている、
受け取り手=お客さん=第三者の、視点・気持ちを忘れないで下さい。

お願いします。

お願いします。

執心鐘入のゆかりの場所(記事まとめ)

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今日は組踊の日、らしいです。

9(く)、3(み)、だから?

 

先日の記事でも触れましたが
今夏の沖縄ホラードラマ番組でも
組踊「執心鐘入」がモチーフになったものが2つもあり、その影響か、
執心鐘入のあらすじを紹介した記事のアクセス数がまだまだ伸びていて、
関心が高まっているということを実感しています。

 

組踊と一言で言っても演目は様々あり、
組踊を創作した玉城朝薫の代表作でも5作品あります

しかし、その5作品の中でも
特に注目を浴びているのが
やはり『執心鐘入』ではないでしょうか。

実際、ストーリーも分かりやすいし、
コメディ要素もちょこっと入ってるし、
鬼のシーンなどメリハリも効いていて
よりショー的というか、
初心者でも取っつきやすい演目だと思います。

 

そこで、

執心鐘入にちょっと興味が出てきたよ!

という人のために、

執心鐘入にまつわるスポットを紹介した過去記事+αを、
改めてまとめてみたいと思います。

 

 

まず、主人公、中城若松。

 

 

若松(のモデルとなった人物)ゆかりの場所が詰まった場所と言えばここ!
ズバリ、若松公園!
(北中城村安谷屋)

高速の北中城ICを出て、ほど近いの場所にあります。

 

 

若松についての紹介、

若松の屋敷跡、

若松の屋敷の火の神、

若松の墓、

若松の妻と母の墓、

が、解説パネルと共にあります。

 

 

過去記事には載せていなかったのですが、

若松を謳ったおもろ碑もあります。
裏に解説があります。

 

  安谷屋の若松

  秀れ若松

  枝茂り

  国守る若松

又 心ゆかしき若松

 

(縁起のいい)青々した若い松の枝にかけて、
優しくて優秀な中城若松を称えています。

 

墓とか、屋敷跡とか、妻とか母とか、
舞台上のキラキラしたいたいけな少年若松というより、
成長して所帯して老いて亡くなるという
生身の人間としての、「中城若松」に想いを馳せられる場所ですね。

 

ワタシは「妻(の墓)」の存在に、
鬼となり成敗させられた
恋に敗れた宿の女を想うのであります。

 

 

 

 

あと一つの執心鐘入スポットは、


若松が逃げ込んだお寺。

そして鬼と化した宿の女と住職たちのバトルが繰り広げられた
あのお寺。

 

那覇市の末吉公園界隈(末吉参詣道)にある、
遍照寺(万寿寺)

 

 

参道から中に入った所の写真がなかったので
追加で載せておきます。
(こちらは今年1月撮影)

今はお寺自体は見る影もありませんが、
鬱蒼とした緑に囲まれ、
普段はひと気もないため、少しゾクっとする空気感。

夜のこの場所をイメージすると
まさに鬼が出てきそうな雰囲気です…。

(遍照寺自体は移転して今も存在します。
沖縄県民にとっては中尾彬のCMでもお馴染みの、
あの遍照寺なのです。→

 

 

末吉公園には
玉城朝薫生誕300年記念の碑もあります。

執心鐘入の遍照寺に由来して
ここに建てられたのでしょう。

 

 

レリーフは、執心鐘入だけではなく、
朝薫五番(5作品)がデザインされています。

 

 

ちなみに、
同じ末吉参詣道沿い(平良交差点側)には
こちらも有名な組踊演目『万歳敵討』(田里朝直作)の
舞台となった場所もあります。

 

 

いかがでしたでしょうか。

実際にゆかりの場所を「体感」して、
より深く『執心鐘入』の世界に想いを巡らせてみてはいかがでしょうか?

山巓毛↔南山グスクを<実感>する

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糸満市の中心地、糸満ロータリーの所にある、

さんてぃんもう公園(上)と、
最後の南山王・他魯毎の墓(中央右側・白い部分)。

 

 山巓毛(さんてぃんもう)については
過去に記事にしたこともありますが、
他魯毎が自害した場所、とも言われています。



(過去記事より)


今回、この公園にある水色の展望台(↑写真左端)に
初めて登ってみました。

糸満を360度ぐるりと見渡すことができて
気持ちがいい~♪

 

東側に目をやると…

 

 

…ん?

 

真ん中のずーーーっと奥の、
ぽつんと飛び出た塔の下あたり……

 

 

ここ、

南山グスクのところじゃないか?

 

 

ズーム&トリミングで。

 

お、やっぱりそうだ。

 

茂みの左右にある四角の屋根が
南山グスクの隣にある
高嶺小学校と高嶺中学校の(おそらく)体育館。

 

 

念のため、グーグルマップ(3D)でも確認。

 

 

奥の黄色い丸に向かって近づいていくと、

 


 

こんな感じ。

さらに奥にある台地の上の塔が
立体に反映されてなくて見えていませんが…
航空自衛隊の施設だから?

(平面地図で見るとちゃんと存在しています)

 

ちなみに、
尚巴志の金屏風と交換したということで有名な
嘉手志川もすぐそこ。


 

もう一度、この写真。

なるほど、この距離感か。

拡大版はこちらから

 

 

1429年、
尚巴志(中山)軍に攻められた他魯毎が、
追われて追われて、ここまで逃げてきた距離感。

うん、そんなに遠くないね。

ってことは、
割とすぐに捕まった(追いつかれた)
ということか。

阿麻和利の、勝連→読谷に比べれば
かなり現実的な距離だな。

南山戦から自害するまで、
タイムラグはなさそう。

 

 

以前も触れたことがありますが(→  )、
史跡巡りで実際にその場に身を置くことの楽しみのひとつが、

距離感や立地を〝実感〟すること

だと思っています。

 

確かにグーグルマップなどでもできないことはありませんが
レンズ越しに写されたものと
自分の目でみたものでは、
やはり少し感覚が変わるのです。

 

さらに言えば
実際に歩いてみると「時間感覚」「体感」が加わり
もっと〝実感〟できるのです。

ボーダーインク×桜坂劇場(桜坂市民大学)特別講座やります!

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桜坂劇場で定期的に行われている桜坂市民大学。

その桜坂市民大学(55期)と、
お馴染み、沖縄県の出版社・ボーダーインクが
コラボフェアを開催します!

 

特別講座

ブックフェア

朗読会

出版相談会

の4つの企画があり、

その中の「特別講座」でワタクシ和々が
初日(10/2)の講師を務めることに相成りました!

 

 

「講座」と言っても、
歴史のお勉強!!という感じではなく、
桜坂劇場内にあるカフェ(さんご座キッチン)内で行う
少人数制のフランクなカフェトークイベントです。

とはいえ、
有料のイベントですので、お金を頂くからには
「来てよかった」と思ってもらえるような内容を提供できるよう、
ただ今絶賛準備中!

 

講座テーマとしては

絵を通して琉球史を楽しむ♪

という感じ。

 

ボーダーインクフェアの一環なので
『琉球戦国列伝』や
『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』の
アレコレについてもお話しします☆

また、キラキラ(フィクション)だけではなく
がっつり時代考証したモノについても☆

 

まだネット上で公開していないイラストや
描きおろし(新作)も持っていきますよ!



今回の描きおろしのための作画資料の一部。

 

お問合せ・お申し込みは

TEL:098-860-9555(桜坂劇場)

まで!

 

 

もし、
こういったことが聞きたいというような
リクエストや質問がありましたら
ご意見承ります♪

 

メール:gajumaru_wawa(アットマーク)yahoo.co.jp 

ツイッター:@wawa_ryuq

 

事前に準備して、ご提示できるかもしれません。

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